富士山

言魂(ことだま)

神代より言ひ伝(つ)て来(く)らく
そらみつ やまとの国は
皇神(すめがみ)の厳(いつく)しき国 
言霊の幸(さきは)ふ国と
語り継ぎ 言ひ継がひけり

山上憶良(やまのうえのおくら)

『万葉集』巻第五-八九四
山上憶良が遣唐使に贈った歌の冒頭部分
〔万葉仮名の原文〕
神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國
言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理
〔現代語訳〕
神代の時代から言い伝えられていることには、大和の国は皇祖(こうそ)の神の神威が厳然としてある国であり、言魂の力が幸いをもたらす国であると、そう語り継がれ、言い継がれてきました。

本は古来、「言魂(言霊)の幸(さきわ)う国」と言われてきました。「言魂」とは、言葉に宿る霊的な力のこと。「言魂の幸う国」とは、「言葉の持つ不思議な霊力によって守られ、幸せをもたらされる国」ということです。
古代の人々は、「言葉には魂が宿る。よき言葉はよきものを招き、悪しき言葉は悪しきものを招く」と信じていました。これは言うなれば、「引き寄せの法則」の元祖。日本人は神代の時代から、「引き寄せの法則」を知っていたということです。
また、聖書にも、「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」(『旧約聖書』「創世記」)、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(『新約聖書』「ヨハネ福音書」)という一節があるように、言葉に特別な力を見出すのは、洋の東西を問わないようです。
ただ、「魂や霊が宿る」というと、あたかも言葉に個性ある命が吹き込まれたかのように、言葉が意志を持って動き出すイメージが感じられます。これは、あらゆるものに神が宿ると考える、日本人ならではのセンスといえるかもしれません。
言葉に関しては、日本は、「葦原(あしはら)の瑞穂の国は神ながら、言挙せぬ国」(『万葉集』巻第十三-三二五三、柿本人麻呂)という言い方もされます。これは、「日本は神の意のままにするのがよく、人間が言葉に出してとやかく言うべきではない」ということです。
人間心を捨て、すべてを神様にお任せする――。
日本人特有の奥ゆかしさや謙虚さは、こうした日本人の宗教観から来ているのかもしれません。

磯城島(しきしま)の やまとの国は
言霊のたすくる国ぞ ま幸(さき)くありこそ

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

『万葉集』巻第十三-三二五四
柿本人麻呂が旅立つ者へ贈ったとされる歌
〔万葉仮名の原文〕
志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具
〔現代語訳〕
大和の国は、言魂が人を助けてくれる国でありますから、私は声に出して言います。「どうか幸せで、無事であってください」と。

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