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時代の生き証人が語る 90歳、96歳の元軍人に聞いた、 真実の大東亜戦争(2013年10月号)

学生時代に「日本は悪い国」という自虐史観を植えつけられ、「大東亜戦争(第二次世界大戦)は侵略戦争だったの?」「私たちは中国や韓国に謝り続けないといけないの?」という疑問を抱いていた 「戦争を知らない子どもの子ども」社会派取材班・駒井春香。真実を知るため、戦争を体験された方々にお話をうかがいます。

 

「従軍慰安婦」って本当にいて、12歳などの子どもを無理やり働かせていたんですか?

 
慰安婦は確かにいたし、兵隊は彼女たちにお世話になりました。
でも商売でやっていた民間組織と、大人の女性たちだったよ。

 
安藤さん 上海や海南島など、いろんな場所に行ったけど、どこにも慰安婦はいて、軍のあとをついてきていたね。
 
荒さん 戦争が終わったとき、慰安婦を関東軍(当時、日本の租借地だった関東州〈現在は中国・大連市の一部〉の大日本帝国の陸軍)が保護したんだ。確かに慰安婦はいたけど、女性を強制的に連れてきて、自由もなく無理やり働かせた、ということは一切ないはずだよ。
 
安藤さん あれは民間の業者がやっていたし、女性もみんなそういう職業の人たちだったね。無理やりなんてとんでもない。むしろ「兵隊さんありがとう、慰めてあげる」という優しい女性たちで、一緒に戦場にいるから、軍隊とは一心同体の感じだったな。女性は日本人が多くて、朝鮮の人も何割かいたけど、当時は朝鮮も日本だったし、私たち軍人も、女性同士も人種差別なんてしなかった。私たち軍人が慰安婦のところに行くときは、避妊具、性病を予防するチューブ状の軟膏、「外出上陸札」がないと出ることができなかったくらい、規律がしっかりしてたんだよ。兵隊はみんな若いし、どうしても女性が恋しくなるよね。私たちは彼女たちに会うのが楽しみで、慰安所の女性たちも「兵隊さんたちは死を覚悟してる」とわかっていて、やさしく慰めてくれたんだ。
 
荒さん 7月28日、サッカーの試合で韓国側が抗議の横断幕を出したけど、とんでもない。
 
安藤さん 「歴史を忘却した民族に未来はない」なんて、おかしいよね。韓国では少女が強制連行された、なんて言っているけど、私が子どものころは、日本でも貧しい農村で、お金のために親が小さな娘を売ることがあった。でも、慰安所にいたのはプロの女性で、12、3歳の子どもなんて絶対にいなかった。私には妹がいたから、よくわかるんだ。仮にいたとしても、そんな子どもを軍人が相手にするわけがない。

 

「南京大虐殺」で日本軍が略奪したり、民間人を20万人殺したって本当ですか?

 
日本軍はアジアで歓迎され、尊敬されていた。虐殺や強奪なんてするはずがない。
 
荒さん 私は当時、同じ中国大陸の満州・ハルピンにいたけど、聞いたことがないよ。規律正しい日本軍は絶対にそんなことしない。
 
安藤さん 大虐殺があれば、私たち軍人の耳に入ってくるはずだ。それに日本軍は当時、アジアで歓迎されていたんだよ。軍が進出した場所は治安が確保され、ダムや学校を建てて教育も整備されたからね。南京に入城したとき、南京の人たちが日本の国旗を振って、歓迎している写真が残ってるもの。
 
荒さん 昔の総理大臣が、南京大虐殺や従軍慰安婦について謝罪した「河野談話」「村山談話」なんかを出したけど、あの人たちは戦争に行っていないから、何も知らないんだよ。
 
安藤さん 当時、万里の長城のそばに姉が住んでいたんだけど、街にボロボロの日本兵がいたんだって。そこで姉はスイカを買って、自分の子どもには食べさせないで兵隊さんにあげたんだ。その子どもたちは70年近く経った今でも「お母さんはスイカを自分たちにくれなかった」と文句を言うけど(笑)、そのくらい軍人は尊敬されていた。そんな人たちが略奪や大虐殺なんて、するはずがないよ。

安藤さん履歴書

 

戦争に行った人たちは、何を思い、命を賭けていたんですか?

 
アジアを植民地支配から解放させ、日本を守るという決意があった。
 
安藤さん 東亜(東南アジア)の解放だね。当時はみんな植民地で、欧米諸国にバンバンやられていたから、同じアジアの国々を解放しようとしたんだ。結果、日本は戦争に負けたけど、アジアの国々は独立できたでしょ? みんなアジアのために、日本のために、日本を治める天皇陛下のために死を覚悟していたんだ。
 
荒さん みんな、死ぬときは「天皇陛下万歳!」って言っていたんだよ。
 
安藤さん 今、私たちよりひと回りくらい若い軍人の生き残りが、「お母さーん!」って呼びながらみんな死んだと言ってるけど、あれはそう言うと受けがいいから話してるだけ。情けないよ。戦争に負けて、日本の思想は大分変わったけど、私は考えを変えない。私がもっと若くて、もし有事が起きたらもう一度戦争に行くし、「天皇陛下万歳!」と言って散っていくよ。東條英機さんを今の日本人は悪く言うけど、あの人が天皇陛下を守るためにどれだけ努力されたか。素晴らしい人だよ。
 
荒さん 私も東條さんと会ったことがあるけど、すごい人だったね。陸軍にいたころ、私は志願兵だし、天皇帰一の精神が強かったせいか、連隊のなかで階級が一番上に上がり、教育者の立場に立ったりもした。そういう精神が評価されていたんだ。
 
安藤さん 当時は軍人だけじゃなくて、日本中がそういう精神だった。当時、母親から来た手紙には、「家のことは心配しないで、国のために戦って」と書いてあった。子どもを国のために捧げる、という親の思いがあったんだよ。日本には昔から、「自分や家族の命よりも、国のために尽くす」という考え方があったから、アジア諸国が植民地化されていた明治維新のときにも植民地化されず、わずか100年でアメリカやイギリスと対等な国になったんだ。
 
荒さん その日本人の精神がいま、失われていると感じるね。
 
安藤さん アメリカに従軍慰安婦の像を建てられても、竹島や尖閣諸島を取られそうになっても何もできない。情けないよ。「欧米諸国による植民地支配からの、東南アジアの解放と平和」という構図を描いて、それを目標に戦った気高い「聖戦」の精神をもう一度、思い出さないといけないね。

 

元大日本帝国海軍中尉 安藤健次郎さん

安藤さんプロ

大正6年7月30日、福島県生まれ。開拓のため、家族で北海道に移住。16歳のときに海軍航空隊の受験を勧められ難関を突破して入隊。以後終戦まで海軍航空隊に従事し、霞ヶ浦、館山、横須賀などのほか南寧方面、海南島作戦など中国方面にも従事。特攻隊に志願し、出撃数日前に終戦を迎える。

 
元大日本帝国陸軍曹長 荒 清見さん

荒さんプロ

大正11年9月20日、福島県生まれ。開拓のため、家族で北海道に移住。旭川27連隊の総長だった父に影響され17歳のときに陸軍に志願。旭川配属ののち満州へ。その後ハルピンの技術学校で指導者として勤務。終戦後およそ4年間シベリアに抑留され、過酷な労働に耐えた後、昭和24年に帰国。

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