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【試し読み】Close up 栗崎愛子「いつも神の愛を 感じています」

先月はドイツ、オーストリア、スイスの3カ国を回り、今月はカナダのトロントへ。幸福の科学 国際本部副本部長として頻繁に海外の幸福の科学の精舎や支部を訪問し、講話や祈願などを行っている栗崎愛子さん。活発だが恥ずかしがり屋だった幼少期から、家族で移り住んだドイツでの生活、信仰をつかんだ大学生時代――。「今の自分があるのは、ドイツで過ごした経験と信仰のおかげ」。そう語る栗崎さんの半生に迫ります。

東京ドームでの奇跡体験

1985年、福岡県福岡市で生まれた栗崎さん。
「“愛子”という名前は、母のインスピレーションで、生まれる前から決めていたそうです。発音的にも意味的にも、外国人にも覚えてもらいやすいですし、“LOVE”は私の大好きな言葉なので、とても気に入っています」

幼稚園の年長のときに父親の転勤で東京へ。小学生のころは、学校から帰ると真っ先に宿題を終わらせ、学習塾をはじめバレエやエレクトーン、習字と、曜日ごとに違う習い事に通いながらも、一輪車やバスケットボールなどで友達と外で遊ぶ活発な子供だったという。

「親から“勉強しなさい”と言われると、“今からやろうと思ってたのに”とふくれるような子でしたが(笑)、自分で納得してつかんだものに対しては、極めるまで打ち込むタイプでした。習い事も大好きで、習字は毎年金賞、エレクトーンでは関東地区優秀賞、バレエの発表会では、本来もっと年上の子が踊るようなソロを踊らせてもらっていました」

母親が、大川隆法総裁の著書『常勝思考』を読み、幸福の科学に入信したのも小学生のときだった。母と一緒に、当時池袋にあった支部に行き、『正心法語』を読んだり、母が支部のセミナーに出ているときは、静かに本を読んで待っていたという。

「今でも覚えているのが、1994年、東京ドームでの御生誕祭に行ったときのことです。遠くに見える大川総裁が、とても強い光の塊にしか見えなくて。目を凝らすと、自分の周りに3~4人の白い天使が見えました。そのころ父はまだ信仰に反対していたのですが、海外出張から帰ってきたばかりで高熱があったにも関わらず来てくれていたんです。講演の最中、ずっと寝ていた父ですが、終わって帰るときに、“あれ? 熱が下がってる”って。家族で奇跡体験をした出来事でした」

家族でドイツへ

1996年、栗崎さんが小学5年生のとき、父親の転勤でドイツのフランクフルトに移り住む。現地の日本人学校に転入し、従来の明るい性格ですぐに友達もでき、学校生活を楽しんでいたが、「海外にいるのに日本人学校にいては、英語もドイツ語もできるようにならない」と考えた両親から、「3歳年上の兄が通うインターナショナルスクールに転校するか、ドイツの現地校に行くか、デンマークにある中高一貫の日本の附属校の寮に入るか」という選択を迫られる。

「まだ小学生でしたが、“自分の人生は自分で決めなさい”というのが親の教育方針。親と離れて別の国で暮らすなんて考えられませんでしたし、英語を学んでいたほうが将来役に立つと考え、インターナショナルスクールを選びました。それに、英語を話している兄のことをかっこいいなと思っていて、そんな兄が同じ校舎にいるという安心感もありましたので」

そして、栗崎さんの人生を大きく変える3年間の学校生活が始まった。

アユハ11月号表紙
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