
交通事故で頭に重傷を負い、26日間の意識不明の後に回復した向田美保さん。
奇跡的な回復の背景には「心の力」があった。
車に跳ねられ、意識不明の重態に
プルルルル、プルルルル――。
2004年3月16日、いつも通り子供たちを学校に送り出した保子さんは、自宅の電話をとった。
「お母さん、落ち着いて聞いてください。美保さんが交通事故に遭いました」
当時中学1年生だった美保さんは、登校中に車に跳ねられ、約10メートル飛ばされて道路脇の植え込みに落下した。美保さんが救急車に乗せられるときに居合わせた中学の担任からの電話だった。美保さんの頭が当たったとみられる車のフロントガラスには、大きなひびが入っていたという。
すぐに警察からも電話が入り、保子さんと、その朝は自宅にいた秀敏さんは、病院に急行する。美保さんの5歳年上の兄・尚亮(なおあき)さんも、学校から呼ばれた。
「担任の先生も警察も口ごもっていて、電話では生きているか死んでいるかも分からなかったんです。病院に着くと、娘は意識がなく、アーアー、ウーウーと苦しそうにうなり声をあげていました」(秀敏さん)
カルテには、半昏睡状態で瞳孔が開き、光への反応もないという緊迫した状況が記されている。医師からは、「ここ2、3日生きられるかどうか判断できません。意識が戻っても植物人間になります」と告げられた。
一命を取り留めたものの意識の戻らない美保さんを、保子さんは24時間つきっきりで看病した。美保さんは大量の汗をかきながら病院中に響きわたるような大きなうめき声をあげては上半身を起こし、バタンとベッドに倒れ込むことをくり返していた。
「そんな状態が1週間以上続き、看護師さんたちからは『このままではお母さんのほうが倒れてしまいますから、帰ってください』と言われました。でも、帰るのが怖かったんです。余計なことは考えず、美保の汗を拭くことだけに集中していました」
後に美保さんが思い出したことだが、意識を失っている間、美保さんは臨死体験をしていた。霊界のいろいろな場所を見せられ、天国のような場所もあったが、身動きがとれずに恐怖で叫ぶ場面もあったという。その様子は、保子さんがこの時期に見ていた美保さんの状況と一致していた。
一方、秀敏さんは事故の翌日から家族で信仰していた幸福の科学の支部に通い、毎日、エル・カンターレ像(*1)の前で祈りを捧げた。
(*1) 幸福の科学の信仰対象である、地球神エル・カンターレの姿を表した像のこと。
「男はこういうとき、冷静になろうとするんです。でも、実際は何も考えられない状態でした。そのころ会社が倒産するなど悪いことが続いていたので、美保の事故も自分の『悪い思い』が引き寄せてしまったのかもしれないと思って、とにかく自分の思いを消そうと思いました。『娘を助けたい』とか『障害が残らないでほしい』という望みさえ、すべて消して『正心法語』(*2)をあげ続けたんです」
(*2)幸福の科学の信者に授与される経典『仏説・正心法語』に記されている経文のひとつ。
支部の礼拝室で必死に祈るなかで、秀敏さんは不思議な体験をした。美保さんが光り輝く巨大な大仏の手のひらの上に乗り、守られているイメージが浮かんできたのだ。
「人間は助かったかどうかで一喜一憂するけれど、神の御心は違う。娘が生かされるなら生かされるし、あの世に行くなら大仏様に導かれて行けるはず。人智を超えたものにすべてをゆだねよう――。そんな気持ちになって、なんとも言えない安心感が胸に広がりました」
事故以前の記憶がない
「美保が目を覚ました!」
事故から26日後の4月11日、兄の尚亮さんが見舞いに来ていたとき、美保さんは意識を取り戻した。しかし――。
「事故以前の記憶がほとんどなくなってしまったんです。だから、自分のことも誰だか分からず、『目の前にいる優しくしてくれる女の人はたぶんお母さんだろうな』と思っていました。文字も書けなくなっていて、院内学級に通って勉強をするようになっても、一晩寝ると、前日の記憶が消えてしまう。感情のコントロールもできず、苦しくて泣いてばかりでした」(美保さん)
そんなある日、病室で秀敏さんと保子さんが美保さんを見守っていたとき、不思議な現象を目の当たりにする。保子さんがふと「この事故には何の意味があったんだろう」とつぶやくと、まだ満足にしゃべれない状態のはずの美保さんが、男性のような声で「これは宿命だった」と言ったのだ。秀敏さんと保子さんは驚いて顔を見合わせた。
「もしかしたら美保の守護霊なのか、目に見えない存在が美保を通じて話したかのようでした。その言葉を聞いて、この子には事故を通して何かを伝えるべき使命があるのかもしれないと思いました。それならば、結果がどうあれ、私は一生お世話をしようと思ったのです」(保子さん)
医師や看護師、家族に支えられて、美保さんは根気強くリハビリと勉強を続けた。
目を覚ました4日後には右半身の麻痺が改善し始め、軽い介助があれば歩けるようになった。自力で食べられるようになり、一人で歩けるようになり……と一つずつできることが増えていく。しかし、記憶だけは長く留めることができなかった。
そんなとき、何気なく保子さんが見せた1枚の写真が状況を変える。
「お見舞いに来てくれた同級生と一緒に写っている写真でした。それを眺めていると、みるみるうちにその日の記憶がよみがえってきたんです」(美保さん)
美保さんは写真を通して〝過去に戻れる〞ことを知り、それ以来、写真を撮ってはそれを見返すようになった。こうして、美保さんは事故から3カ月で退院。入院中の美保さんのカルテを見た脳外科医の大西広一さんはこう話す。
「搬入されたときの美保さんは、頭を強く打ったことで脳が腫れ、さらなる重症である脳ヘルニアを起こしかけていたようです。そうなれば、頭を開いて手術になるか、場合によっては手の施しようがないと判断されることもあります。その後どうなるかは、その時点では予測できません。美保さんの場合は、病状は悪化することなく、急激に改善していきました。MRI検査では、意識の中枢である中脳、右手足の運動神経が通る左内包、左右の脳をつなぐ脳梁に損傷があることが分かったようです。最終的に残ったのが、記憶や情緒などの認知機能の障害である高次脳機能障害でした。病状の経過としてはありえないことではないですが、植物状態になる可能性や、場合によっては亡くなっていた可能性もあることを考えると、奇跡的な回復と言えると思います。若さもあったのかもしれませんが、回復力がすごいですね」
私は生かされている
退院後、美保さんは「無理だ」と言われていた中学校への復学を強く希望。脳外科と神経科に通い、リハビリと服薬を続けながら中学2年生の半ばから学校に通えるようになった。
「周りから『美保ちゃんにはできない』と言われるので、そこから抜け出したくて。それに、入院中も励ましてくれたみんなに会いたかったんです。でも、実際に学校に行くのは大変でした。後遺症でずっと頭痛があり、授業にもついていけず、座っていることが精一杯。クラスのみんなが友達だとは分かるのですが、その人との記憶がない。学校にはカメラを持ち込むこともできないので、みんなとの間に厚い壁ができたようで、深い孤独を感じ、いつも泣いていました」
見た目は普通なのに、以前とは違う美保さんの言動が理解できず、戸惑ったり、きつい言葉を投げかけたりする同級生もいた。
事故前の美保さんを知らない先生からは、勉強を怠けているだけだと思われてしまう。
学校から帰ってきては泣く美保さんを、保子さんは、「美保ならできる。あなたには大きな使命があるんだから」と励まし続けた。
翌年、美保さんは事故前によく通っていた雑貨屋に一人で自転車で行きたいと思い立ち、保子さんに携帯を持たせてもらってチャレンジする。途中で道が分からなくなったが、保子さんに電話をして、なんとか近くの公園にたどり着くことができた。その年の夏には、テレビで見た憧れのアナウンサーがいる福岡県のテレビ局へ行こうと決意。一人で新幹線と地下鉄を乗り継ぎ、今度は無事にたどり着くことができた。
「幸福の科学では、人間は、あの世とこの世を何度も生まれ変わりながら、魂を向上させている霊的な存在だと教えていただいています。私は事故のときの臨死体験を通して『あの世は本当にある』と実感しましたし、人間が魂修行をしているというのも真実だと確信しています。だから、学校で孤独を感じて何度も『死にたい』と思っても踏みとどまりました。魂修行のために、今、こうやって生かされているなら、できるところまでやってみよう。そうしたら何かが見えるはずだと思ったんです」
幸福の科学の支部と、そこに集う信者のみなさんも美保さんの心の支えだった。
「支部に行くと、みなさんがそのままの私を温かく受け入れてくださるんです。それに、支部の礼拝室でお祈りをしたり、大川総裁の書籍を読んだりしていると、神様をそばに感じることができて、荒れた心が凪いでいきました。ずっと『誰も分かってくれない』『居場所がない』と思っていた私が、居場所を見つけることができたんです」
「心の力で勝ちたい」
中学卒業後は、事故の後遺症で感情のコントロールができず周りとぶつかりながらも、進むべき道を探した。高校は通信制で卒業し、働きながら通信制の美大にも通った。そして20歳を前に、薬をやめる決心をする。
「医師からは精神安定剤は一生飲み続けなければいけないと言われていました。でも、大川総裁は『心には力がある』と教えてくださっています。私は心の力で勝ちたいと思ったんです。医師に相談しながら、なんとか20歳までにやめることができました。今は薬は何も飲んでいません」
現在、美保さんは働きながらカメラマンとして活動し、画家である秀敏さんとともに個展を開くなどしている。昨年からは一人暮らしも始めた。前出の大西さんは退院後の美保さんの回復についてこう語る。
「医学的にはありうる経過として片づけられてしまうかもしれませんが、これほどの事故を経験し、一般の方とほとんど同じ認知機能が保たれて、日常生活を行うほど自立しているのは、奇跡的な回復ということになると思います」
不可能とされる状況を心の力でくつがえしてきた美保さんは今、心に何を描くのか。
「支えてくれた両親や医療関係者のみなさん、友達や支部のみなさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。私は事故を通して1日1日の大切さを知り、目の前にある些細なものが、次の日もあることはとても幸せなことだと知りました。なんでもないような景色が、ものすごく美しく光り輝いているように見えることがあるんです。だから、その輝きを写真に写して、今度は私のほうが、たくさんの人に幸福を与えていけるような人になりたいと思っています」
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