維新の志士や文豪が飼っていた、ペットにまつわる意外なストーリーをご紹介します。
実は無類の愛犬家だった! 西郷隆盛(1828 ~ 1877)
鹿児島出身の大久保利通、山口県出身の木戸孝允と並んで、「維新三傑(いしんのさんけつ)」のひとりと呼ばれている西郷隆盛。豪快で愛橋のある人物像と、その器の大きさで多くの人に愛され、敬愛と親しみを込めて「西郷どん」と呼ばれていました。
討幕軍の最前線で戦った勇ましい人物である反面、無類の犬好きとしても知られています。
特に薩摩(さつま)原産の猟犬である薩摩犬をこよなく愛し、「ツン」というメスの薩摩犬のほか、東京の自宅では、なんと10匹以上の犬を飼っていたそう。その溺愛ぶりは愛犬に肉をあげすぎて肥満体にしてしまったり、西南戦争末期には、別れを惜しんで、男泣きしたりというエピソードも残っているほど。
上野動物園にある彫刻家・高村光雲作の西郷隆盛像は、愛犬「ツン」を連れてウサギ狩りに興じている姿を模していますが、実はこの像の西郷どんの隣にいる犬は「ツン」ではありません。「ツン」は銅像作成時には既(すで)に死んでしまっていたので、西郷隆盛像とは別に、後藤貞行が海軍中将・仁礼景範(にれかげのり)の雄犬をモデルにして作成されたのだとか。
獰猛(どうもう)な性格とされる薩摩犬ですが、飼い主には忠実な一面も持っています。そんな飼い主を想う一図な姿に、大将肌の西郷どんも魅了されたのかもしれません。
古今東西世界で愛された猫のおはなし
Column 1 エジプト人に愛された猫の女神
エジプトの太陽神「ラー」の娘(もしくは妹あるいは妻とされることもある)、「バステト」。豊穣と愛を司(つかさど)る〝猫の姿をした女神〟として、自分を崇拝する者を病気や邪悪な霊から守護されるといわれてきました。そのよしみか、古代からエジプト人に深く愛され、猫を殺すことはどんな事情によるものであっても、最(もっと)も重い罪として処刑されることさえあったそうです。
Column 2 自分の服より猫を優先したムハンマド
イスラム教の開祖・ムハンマドはたいへんな猫好きでした。ある日、外出しようとしたら上着の上で猫が眠っていたため、ムハンマドは猫が寝ている袖(そで)の部分を切り、猫を起こすことなく袖なしの上着で出かけていったとか。ムハンマドの言行録『サヒーフ・ムスリム』には「猫を閉じ込め餌を与えなかった女性が業火に投げ込まれた」旨の記載があることもあり、猫を大事にするイスラム教徒は多いそうです。
Column 3 蚕神(かいこがみ)・保食命(うけもちのかみ)の神使(しんし)、猫
日本神話に食物を司る神や、五穀や牛馬、養蚕(ようさん)の起源神として登場する、「保食命(うけもちのかみ)」。日本は江戸時代末期から昭和初期にかけて養蚕が盛んで、全国の養蚕地では、絹の原料である蚕の卵や幼虫を食べてしまうねずみの天敵である猫が、保食命などの蚕神(かいこがみ)の神使(しんし)とされてきました。そのため、今も全国に残る蚕神を祭る神社の入口の多くには、ねずみによる被害から蚕を守るために、猫の石像が奉納されています。
あの名作の主人公は家に迷い込んだ猫だった 夏目漱石(1867 ~ 1916)
〝 吾輩(わがはい)は猫である。名前はまだ無い〟から始まる漱石の代表作『吾輩は猫である』の背景には、その名の通り、漱石の家に迷い込み、モデルとなった名のない猫がいました。
自分の小説に登場させるからには、さぞかし愛情を持って育てていたのだろうと思いきや、漱石は特に猫好きだったわけではないそうで、妻の鏡子に至っては、どちらかと言うと猫嫌いだったとか。
しかし、いざ猫が死んでしまうと、漱石は親しい弟子たちに、猫の死を伝えるため、死亡通知を出したり、裏庭の桜の木の下に埋め「猫の墓」と記して祭ったりしました。
亡骸(なきがら)の碑(ひ)のかたわらには「小説『吾輩は猫である』の主人公になった三毛猫の墓である」と書かれた札も立っており、表には出さないまでも、実は秘かにいつも猫のことを思っていたのかもしれません。
(「Are You Happy?」2014年10月号)
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