愛から富を生み出した起業家・発明家たち

この世界には、莫大な富を生み出した起業家や、素晴らしい製品を世に送り出した発明家が数多く存在しています。世界を発展させてきた成功者の発想の原点は、身近な人への「与える愛」の思いであることも多いのです。

与える愛を成功に結びつけることができる人には、いくつかの共通する特徴があります。それは、「凡事徹底によって誠実な仕事を心掛ける」「自分を犠牲にしてでも他の人のために尽くす」「常に神の目を意識し、信仰心を持って生活をする」などです。しかし、それだけでは、まだ富を生み出すことはできません。「お金持ちになりたい」と強く願うなかに、「世のため」「人のため」「お客様のため」という思いがあればこそ、富を引き寄せる“与える愛の魔法”が使えるようになるのです。

家族への愛を出発点にして、富を生み出し、世界を愛の魔法で包んだ起業家や発明家を紹介します。

ジョン・ロックフェラー

石油王と呼ばれたジョン・ロックフェラーは、クリスチャンだった母から信仰を受け継ぎ、「働くことの大切さ」を教わりました。ロックフェラーが初めてお金を稼いだのは12歳のとき。家族の外出中、料理用の七面鳥の世話をすると、喜んだ母親が小遣いをくれたのです。その喜ぶ姿を見て「人助けをしてお金を稼ぐこと」の喜びを知ったといいます。
彼が石油産業に乗り出した当初は、小さな会社が過剰に石油を掘ったことで、粗悪な石油製品が巷に溢れていました。それを知ったロックフェラーは、「人々に質の良い石油を提供するためには、石油産業自体を大きくするべきだ」と考え、同業他社を買収していったのです。同時に、科学者を雇って石油の精製を研究させることで、誰でも良質な石油を手に入れられるようにしました。ロックフェラーが自身の石油会社に自分の名前ではなく「スタンダード・オイル」と名付けたのは、「良質な石油が世界の基準になり、多くの人の手に渡るように」という「与える愛」の思いがあったからなのです。

石油業で莫大な財産を築いたロックフェラーは、効率的に慈善事業へ資金を提供するために、「ロックフェラー財団」を創設します。彼は資産のほとんどを財団に預け、寄付したことを吹聴せず、寄付先の活動にも口を出しませんでした。「見返りを求めない愛」の行為だったと言えます。

ロックフェラーが97歳で亡くなったとき、ポケットにはわずかな小銭しか入っていなかったそうです。生前、売名行為だと批判を受けても、決して慈善活動を止めなかったのは、信仰心による「自分は世のため、人のために働いている」という強い確信があったからなのです。

安田善次郎

1858年に富山の小さな町に生まれた安田善次郎は、幼少期から家の畑仕事を手伝っていました。
12歳になると、昼は行商に出て夜は内職をし、少しずつ貯金をつくった善次郎は、自ら家の土蔵の扉を修繕したり、妹たちに文机を買ってあげたりしていたそうです。そのように「勤倹力行(きんけんりっこう)」の精神が身についていた善次郎は、大富豪になることを志し、20 歳のときに江戸の鰹節商で奉公を始めました。
 
26歳で独立し、「安田商店」という小さな両替商(手形と金を交換する商人)を開きます。当時、幕末の混乱真っただ中で治安の悪かった江戸では、両替商が強盗に狙われるケースも多く、多数の店が休業していました。しかし善次郎だけは、「お客さんが困るといけない」と、襲われるリスクを負ってでも店を開き続けたのです。そうした「自己犠牲の精神」が、多くの人たちからの信用を得て、大金を引き寄せたのだと言えるでしょう。
得た資金を元手に、安田銀行(現在のみずほグループ)を創業。1904年、銀行家として一流になった善次郎は、「関西のある有力な銀行がつぶれかけているから、立て直してくれないか」という政府の依頼を受けます。
この銀行が倒産すれば、波及効果で日本全体が大恐慌に陥る可能性がある……。善次郎はその話を受け、日本銀行に600万円(現在の約200億円に相当)の融資をしてもらいます。しかしその金額では足りないと気づいた善次郎は、私財をなげうって560万円の融資を行い、銀行を立て直したのです。

「銀行は縁の下の力持ちだ」と語っていた善次郎は、危険や不利益もかえりみず、社会への愛に生きました。まさに陰徳を積み続けた生涯だったのです。

本田宗一郎

今では世界中で愛されているHONDAのオートバイ。その始まりには、創業者・本田宗一郎の妻への愛が隠されています。HONDAの前身である本田技術研究所を立ち上げたばかりの本田宗一郎は、妻が自転車で毎日苦労して買い出しに行く姿を見て、「自転車にエンジンをつければ楽になるんじゃないか」と思いつきます。そこで開発したのが、現在のオートバイの元となる「エンジン付き自転車」です。
この「妻を助けたい」という愛の思いが、世界中の人々の暮らしを変えたのです。

もともと宗一郎は、顧客第一主義を徹底しており、「120%の良品を目指せ」というのが口癖でした。「人間のすることには必ず1%や2%の不良品が生まれる。100%を目指していては、99%の良品になってしまう。お客様をがっかりさせることは1件でもあってはいけない」。その信念のもと、徹底した品質管理を行っていたのです。

普段の宗一郎は、「親父」と呼ばれて慕われる気さくな人でしたが、雑な仕事をした従業員には容赦なく怒声を浴びせるという一面もありました。しかし、そのときの宗一郎は怒りながら泣いていたそうです。自動車やバイクは、ドライバーの命を預かる製品。中途半端な仕事は人命損失につながる以上、仕事に手を抜く従業員は絶対に許さないという、熱い愛の思いが宗一郎に本気の義憤を起こさせていたのでしょう。

「会社の儲けよりも、お客様を大切にしたい」という与える愛の精神が、素晴らしい技術や製品を生み出していきました。顧客たちは宗一郎のそんな思いを感じたからこそ、HONDAの製品を信頼し、結果的に富が創出されていったのです。

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鈴木真実哉 

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ経営成功学部ディーン

1954年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。同大学大学院経済学研究科修士課程と博士課程で応用経済学を専攻。玉川大学、法政大学講師、上武大学助教授、聖学院大学教授等を経て、2015年4月よりハッピー・サイエンス・ユニバーシティ 経営成功学部 ディーン。同学部プロフェッサー。著書に『理工系学生のための経済学入門』(文眞堂)他がある。