東京裁判の真実とパール判事の生き方

先の大戦に日本が敗北後、アメリカら戦勝国が主体となって「極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)」が行われ、軍人らが戦争犯罪人(戦犯)として裁かれました。この裁判が、日本人が「日本に誇りを持てない」という現状につながっています。他の判事が全員一致で有罪判決を目指すという、敗戦国・日本が圧倒的不利な状況の中、インドの法学者・パール判事は唯一、公正な立場で無罪を主張しました。東京裁判の真実と、パール判事の生き方に迫ります。

「東京裁判」って?

大戦後、連合国によって開かれたナチス・ドイツの戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判と同じことを日本に対して行おうとしたもので、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーに全権を委託された形で開かれました。戦争犯罪はA級、B級、C級に分けられ、「平和に対する罪」を犯した者、つまり戦争を遂行した国家指導者らがA級戦犯として裁かれたのです。

“戦犯”にされた人はどのくらいいたの?

A級戦犯は28名が起訴され、7名が絞首刑に処されています。BC級戦犯は約5,700名が起訴されました。11人の裁判官の中で、全員を無罪としたのはパール判事ただ1人。部分的に反対する者も数名いたものの、死刑や禁錮刑といった重い刑罰が下されました。「戦勝国のメンツ」のために、出来レースの不当な判決が下されたという見方もあります。

 

東京裁判で唯一、公正で中立な判断を下したパール判事ってどんな人?

インドの法学者で、コルカタ高等裁判所判事や国際連合国際法委員長などを歴任したラダビノード・パール。3歳のときに父親を亡くし、女手ひとつで育てられました。パールの母は、インドの独立のためにと、息子を法律家の道を歩ませたといいます。
東京裁判の判事に任命されたパールは膨大な意見書を執筆。意見書は7つのテーマに分けられ、「日本は世界侵略のための戦争を開始したのではなく、西欧諸国の植民地政策の渦中にあるアジアで、西欧諸国に挑発されて戦争を始めた」などという、弁護団の「自衛戦争」という主張を肯定していました。さらに「裁判所条例といえども、国際法を超えることはできない」など、戦勝国の戦争犯罪を不問にする裁判を批判。判決は覆りませんでしたが、パールの中立な判断に、被告人たちは感謝の言葉や句を遺しています。

 

日本に遺るパール判事の足跡ーパール博士顕彰碑

英霊が祀(まつ)られている靖国神社の一角に、パール博士の顕彰碑がある。これは法の正義を守る使命感にあふれたパール判事の功績と、その勇気と情熱を伝えようと2005 年に建立されたもの。パール博士の陶板の左には、東京裁判の個別意見書(通称「パル判決書」)の一部が刻まれている。

 

パール判事の霊が語る
東京裁判と、アジア各国の日本への思い

「インド・パール判事の霊言 されど、大東亜戦争の真実」より、一部をご紹介いたします。

 

■「あれはひどい裁判だった。一方的だね。ひどいよ。あれをやるなら、原爆を落とした人にも裁判しなきゃいけない。絶対におかしい。戦争裁判で、人道や平和に対する罪を裁くなら、原爆を落とした人も、ユダヤ人をガス室で虐殺したのと同じように裁かれるべきだ。両方を裁くなら、国際的に公平だけども、一方的にはおかしい。おかしい。絶対おかしい。」(31 ページ)

■「(東京裁判は)無効です。遡さかのぼって、これは、もう無効にすべきです。これは、やってはならないことですよ。裁判する資格がないもの。裁判してる国たちが、侵略国家なんですから。
侵略したところばっかりだ。植民地を持って、軍事的に占領をしていったところが、どうやって裁判できるんですか?あとからまねした人を裁判するっていうの、これは、どう考えても不公正ですよ。ありえない。ありえないことです。」(112 ~ 113 ページ)

■「インドは、百五十年か二百年ぐらいイギリスの支配下にあった。この間の苦しみは、もう塗と炭たんの苦しみで、あなたがた(日本人)は解放者以外の何ものでもないのであって。
うーん。尊い三百万人もの日本人の命を流して、われらインド人の現在の発展の基礎をつくってくれたのには、感謝以外ないね。」(46 ページ)

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タイトル

『されど、大東亜戦争の真実 インド・パール判事の霊言』

『されど、大東亜戦争の真実 インド・パール判事の霊言』

大川隆法総裁による霊言で、真実が明らかに!
パール判事の霊が語る
東京裁判と、アジア各国の日本への思い
去る6月23日、沖縄戦の終結の日、大川隆法総裁は、「当会なりの慰霊祭の代わりかもしれません」と、パール判事の霊言を行った。パール判事が語ったのは、東京裁判の不当さと、インド、そしてアジア全体の、日本に対しての思いだった――。
大川隆法 著 / 幸福の科学出版