知っておきたい日本の歴史「広島・長崎への 原爆投下の真実に迫る」

太平洋戦争末期の1945年8月。6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が落とされ、数十万人が犠牲になりました。
世界で唯一の被爆国となった日本ですが、なぜ原爆が2度も投下されたのでしょうか。
原爆の基礎知識とともに、真実を探ります。

 

原子爆弾ってどういうもの?

ウランやプルトニウムなどの原子核が起こす核分裂反応を使用した核爆弾です。
広島に投下された「リトルボーイ」はウラン型、長崎に投下された「ファットマン」はプルトニウム型で、「リトルボーイ」の1.5倍の威力があったとされます。

原爆の高温の熱線で爆心地の地表の温度は3,000〜4,000℃に達し、人が一瞬で炭化するほどでした。数キロ離れていても火傷を負った人も多く、さらに強い放射線を放出するため、放射線障害や白血病、癌などの病気で被害者を後々まで苦しめる、恐ろしい大量破壊兵器です。

 

なぜ原爆をふたつも落としたの?

「日本での本土決戦を避け、一日も早く戦争を終わらせるため」というのがアメリカ側の公式見解です。

しかし実際は、投下した原爆の種類が違うことや、原爆の破壊力を探るのに適した地形の場所を狙っていたという証言などから、人類史上初の核兵器の威力を実験するために落とした、という説も有力視されています。
原爆投下の翌年には被爆者の長期的調査のために専門家が広島入りし、翌年以降は広島と長崎に原爆傷害調査委員会(ABCC)が開設。抽出された被爆者が検査されていました。あくまで検査目的のため、そこでの治療は一切されなかったそうです。

 

なぜ広島と長崎が原爆のターゲットになったのか

諸説あるが、広島には連合国軍の捕虜収容所がないと思われていたことや、戦艦「大和」の造船所をはじめ、軍事施設や軍需工場が多くあったことなどが理由とされている。
長崎は、世界最大の戦艦「武蔵」が造られた三菱重工長崎造船所があったからとされるが、9日の第1目標は八幡製鉄所を有する福岡県の小倉だった。しかし小倉上空は視界が悪く、第2目標の長崎に変更されたといわれている。

本当の理由として、軍事施設や工場の破壊だけでなく、破壊力の実験のために空襲被害が少なかった広島、平地が多い小倉を狙ったという説もある。

 
(「Are You Happy?」2014年10月号)

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