【体験談】日本の誇る伝統文化を世界に伝えたい―日本一の女流そば打ち職人を目指して

「八溝そば」の名産地、栃木県・烏山(からすやま)で家業の割烹料理店「松月庵(しょうげつあん)」を手伝い、日本一の女流そば打ち職人を目指して修業に励む、棚橋由佳さん。夢に向かってひたむきに努力し、あきらめずに夢を描き続けることの大切さを伺いました。(「Are You Happy?」2015年7月号掲載)

舞台女優を夢見て

私の実家は、栃木県・烏山で130年の歴史を持つ割烹料理店。6年前から地元の名産「八溝そば」を提供しています。私は3人兄妹の末っ子として生まれました。“お姉ちゃんっ子”だった私は、4つ上の姉のことが大好きで、何をするのも姉と一緒。小学生のころから姉と一緒にダンスやバレエを習い、芸能界を目指していた姉の後を追って、18歳で舞台女優を目指して上京しました。「女優として成功したい」という夢を胸に、あこがれの東京での生活をスタートさせたのです。

突きつけられた現実の厳しさ

アルバイトをしながら俳優の養成学校に通い、演技力を磨いては舞台のオーディションを受けていました。そして20歳のときに、田中邦衛(くにえ)さんや市原悦子さんなど、数々の名優を輩出してきた「劇団俳優座」の養成所に入るための、オーディションを受けることに。

定員15人に対し、応募人数は数百人。駆け出しの私に勝ち残れるのか不安でしたが、なんとか合格することができました。「これで大きく夢に近付いた!」と思いましたが、現実はそう甘くはなかったのです。

そこはまさに“弱肉強食”の世界。劇団に入れても、実力の足りない人は容赦なく振り落とされ、正式な劇団員になるには6年かかります。同期といえどもみんなライバル。ただただがむしゃらに稽古に励みました。

そして2年目に上がるための査定が行われる修了公演の日。一般の観客に交じり、先輩や支配人が目を光らせます。「観客の心を魅了する演技をして、合格したい!」と、全力で公演に挑みましたが、結果は不合格。1年で退団を余儀なくされました。

無理がたたり突然襲った病

それでも、「絶対に夢をあきらめたくない」と、今度はプロの講談師に弟子入り。「女優 兼 講談師」を目指し、さらに厳しい稽古に励む日々が続きました。

そんなある日、突然、下腹部に激痛が走ったのです。病院へ行くと、「卵巣のう腫」と判明。急遽入院することになりました。手術は成功しましたが、緊張とストレスで張り詰めていた糸がプツンと切れたように力が湧かず、稽古にも行きたくなくなってしまったのです。

よくよく自分の心を見つめてみると、ただ漠然と「東京で成功したい」と選んだ道なので、「なぜ女優になりたいのか」「どんな女優になりたいのか」というビジョンをまったく持てていないことに気付きました。そんな私に、人の心を掴むような演技ができるはずがありません。

心機一転そば打ち職人の道へ

手術後は、療養をしながら1カ月ほど実家の店を手伝いました。地元の人と触れ合うのはとても楽しく、なによりも癒されます。「このまま店を手伝いたい……」。しかし東京への未練はまだ残っていました。体調も回復し、半年ほど栃木と東京を往復しながら身の入らない稽古に通っていた私に、ある日転機が訪れます。

姉が結婚することになり、結婚前の家族の顔合わせで、千葉県に行ったときのこと。顔合わせを終えて、帰りに寄った九十九里の広大な海岸を眺めていると、「東京で成功したい」と思っていた自分のなかのこだわりが、潮風と共に徐々に消えていくのを感じました。「栃木へ帰ろう。そしてそば職人を目指そう」。もう迷いはありませんでした。

父にその思いを伝えると、最初は猛反対。「そば打ち職人の道はそんなに甘くない。夢を途中で投げ出した、中途半端なお前には任せられない」。父の言うことはもっともでしたが、初めて心の底から湧いてきた“自分の本当の夢”です。来る日も来る日も「やらせてください」と懇願(こんがん)しました。熱意に折れた父は渋々、店で働いているそば打ち職人の親方を紹介してくれることになり、弟子入りが決定。それからは朝から晩まで修業に打ち込みました。

別の形で実現した夢

慣れないそば打ちの修業はきつかったですが、それ以上に、今までにないくらい生き生きとしている自分に気付きました。

そしてそば打ちを始めて3カ月。地元の新聞の取材を受けると、その記事を見たNHKのディレクターから、ドキュメンタリー番組のオファーが来たのです。まさかの展開に驚きましたが、もともと「有名になったらドキュメンタリー番組に出たい!」と思い続けてきたので、形こそ違いますが、夢がひとつ叶った体験でした。

初めて見つけた“理想の人”

そば打ちの道に入り、初めて心から尊敬できる人に出会いました。そば打ち界で“そばの神様”と呼ばれる、高橋邦弘(くにひろ)名人です。高橋名人の座右の銘は「上求菩提(じょうぐぼだい)・下化衆生(げけしゅじょう)」。そばの悟りを限りなく求め、そばの道を歩む人には、得た智慧を惜しみなく分け与える。そんな哲学を持った名人は、謙虚な物腰と、深い愛情を兼ね備えた人です。

そばには“打った人の魂がこもる”といわれますが、名人の人間としての“器”の広さと、そばへの愛情が、人を心から感動させるそばを生み出します。私も高橋名人のように、人間としての深みを求め、食べる人を幸福にできるようなそばを打てるようになりたいと思うようになりました。

日本の誇るべき伝統文化を世界に広げたい

そば打ち職人の道を目指してもうすぐ2年。今年の1月から一人前のそば打ち職人として店に出ていますが、そば打ち台に立っていると、「昨日よりも今日、今日よりも明日のほうがよくなりたい」。そんな思いが湧き出てきます。

私の夢は、海外へ日本の“そば打ち”の伝統文化を広めることです。最近ではよく、アメリカでそばを打っているビジョンをイメージしています。

女優を目指していたころは、壁にぶち当たっては、「私にはできない」とネガティブに考えていましたが、今は「あきらめずに夢を描き続ければ、必ず実現できる」と信じています。再び夢を叶えるチャンスをいただいた今、今度こそ夢を叶えて、そばを通して、多くの人に幸せを与えられるような人間になっていきたいと思います。

こころが晴れになるハッピールール

夢をありありと描き、心のなかに持ち続ける

夢が実現する姿をありありと思い描く力、それを長く思い続ける力、そして、「それが現実に起きうることなのだ」ということを、心のなかに持ち続ける力。こういう力がある人の場合、夢が、だんだん本当になり、じわじわ、じわじわと近づいてきます。
――『アイム・ハッピー』第3章「夢を持とう」(p.89)より

(「Are You Happy?」2015年7月号)

松月庵
【住所】栃木県那須烏山市中央2-1-14
【営業時間】11:30~14:30(L.O.14:00)、17:00~21:00(L.O.20:30)
【休業日】木曜日
【電話】0287-83-2035
※営業時間・定休日は変更となる場合があります。来店前に店舗にご確認ください。

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