簡略化が進む葬儀事情の問題点とは

お葬式といえば、2日間かけて通夜式・告別式を行い、遺族や故人の友人・知人が数多く集うイメージがあるが、近年、都市部を中心に葬儀の簡略化が進んでいる。その問題点とは。

都市部では、「一日葬」や「直葬(ちょくそう)」といった簡易な形式のお葬式の割合が増えている。

直葬

通夜式や告別式、葬儀を行わず、火葬場ですべて終わらせるもの。お坊さんを呼んで読経をしてもらうケースもあるが、なかには読経すらなく、火葬の前に10分間のお別れの時間を取るだけのプランも。主に経済的理由で選ばれる方法で、近しい親族のみが集まる。終活関連の情報サービスを行う鎌倉新書によると、大都市で直葬の割合が高い傾向があるという。儀式を行わないため、納骨する際に菩提寺がお墓に受け入れてくれないといったトラブルも。

下の2 つのグラフは、全国の217 の葬儀社が2013 年11 月から2014 年10月末までに行った葬儀の種類と、そのうちの直葬の件数を前年と比較したもの。

お坊さん便

地方から都会に出てきて菩提寺とのつながりがなくなった人などのために、インターネットでお坊さんを手配するサービス。直葬などでお経を5分間だけあげるプランもあり(戒名込みで5万5000円)、大手インターネット通販サイトのアマゾンから注文できることでも物議をかもしている。

一日葬

会葬者の高齢化や遠方から来る人の宿泊費がかかるなどの理由で、2日間に渡らないようにするために通夜式を執り行わず、葬儀・告別式と火葬を1日で行うもの。親族だけで行う家族葬などで増えている。直葬だと親族が納得しない場合などに選ばれることも。

散骨、自然葬、樹木葬など

火葬した骨を海や山、木の下などに散骨する埋葬法。「自然に還りたい」として積極的に選ぶ人と、子供がいない、墓から遠距離に住んでいるなどで「墓を維持できないから」と消極的に選ぶ人とに分かれる。

手元供養

火葬後の遺骨をさらに焼いてオブジェにして自宅に安置する、またはアクセサリーとして身につける方法。散骨を選び、墓がないため供養の対象が分からなくなるとして残した遺骨の一部を加工する場合や、「一緒にいたい」という遺族の願望を形にする場合も。

葬儀の本来の意味は故人に自身の死を自覚させること

都市部を中心とした変化ではあるものの、葬儀の簡略化は着実に進んできています。これには、社会構造の変化という仕方のない要因もあります。

葬儀の意味やしきたりを世代を超えて引き継いできた地域共同体は、都市部への人口流出によりその機能を失ってしまいました。転勤族である子供に墓を守らせるのは申し訳ないと、あえて墓に入らない人もいます。また、高齢化が進んで葬儀参列が難しい人が増え、介護費用がかさんで十分な資金を残せないことも、簡略化の要因にあげられるでしょう。

やむをえず簡略化を選ぶ人たちがいる一方で、葬送儀式を行わない人の中には「葬儀にお金をかけたくないから」という人もいます。しかし葬儀の意味を知れば、考え方も変わってくるのではないでしょうか。

日本人は古くから、先祖の霊は山や川にいて、お盆などに家に帰るという死生観を持っていました。「御先祖様が見ている」という言葉は、その通りの意味で使われていたのです。

江戸時代、幕府の指導で檀家制度が広がると、今の葬儀の原型である仏式の葬送が庶民に普及します。先祖の死後の平安を願う人々の気持ちに沿うものだったからです。諦めさせる行為を意味する「引導(いんどう)を渡す」とは、もともと仏教用語で、「死者に自らの死を受け入れさせる」ことを意味しました。葬儀は本来、故人が自身の死を自覚するためのものだったのです。

しかし現在、伝統仏教の主要宗派で霊魂を積極的に認めているのは、高野山真言宗と天台宗、日蓮宗だけといわれます。魂やあの世について説けない宗教が多いということです。人々が葬儀を形だけ調えればよいと考えて「便利さ」「安さ」に流れてしまう根本的な原因は、ここにあると言えます。

音声による読経でいいのであれば、「お坊さん便」はいずれ読経CDに代わられる可能性もあります。しかし本来、葬儀は故人の魂をあの世に送るためのもの。宗教者は霊的に引導を渡す役割を担っています。
供養の思いがこもった墓は、先祖との霊的な通信基地です。社会の変化とともに伝統も形を変えるものですが、本質は見失わないようにしたいものです。

(「Are You Happy?」2018年8月号)

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