日本をまもる聖地の力-奈良

奈良の大仏

仏教文化、花開く

約2700年前に、初代・神武天皇が奈良の橿原の地で即位されてから、桓武天皇が京都に都を移すまで、長く政治と信仰の中心であり続けた古都・奈良。古くから三輪山信仰などで知られる日本神道の聖地であったが、第29代欽明天皇の時代には仏教が伝来し、仏教文化が花開いた地でもある。

仏教の興隆には、「十七条憲法」のなかで「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり」と謳い、国の統治に仏教精神を取り入れた聖徳太子の功績が大きい。また「奈良の大仏」として親しまれる、東大寺盧舎那仏(るしゃなぶつ)像を建立した第45代聖武天皇と、建立事業の実質的な責任者である僧・行基の存在も忘れてはならない。

大仏に託された願いとは

盧舎那仏とは、釈迦如来と同一視される、世界を照らす絶対的な仏のこと。聖武天皇の御世には、天然痘の流行や旱魃・飢饉、大地震、藤原広嗣の乱が起きるなど、社会的に不安定な時代でもあった。大仏建立には、そうした社会不安を取り除き、国を安定させる願いが込められていたと考えられる。

建立の詔(みことのり)に際し、聖武天皇は、「一枝の草、一把の土をもって大仏造立を手伝おうとする者があれば、それを許せ」という趣旨のことを述べている。さらに、行基による勧進で、全国から数多くの協力者と布施が集まり、のべ260万人が大仏建立の工事に関わったという。

現在では海外からも参拝者が訪れる「奈良の大仏」には、多くの人々の、時空を超えた鎮護国家への祈りが込められている。

(「Are You Happy?」2014年8月号)

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