
大川総裁の法話や霊言をもとに、天御祖神が降臨した当時の様子や富士山麓で栄えた文明の様子をお伝えします。
富士山麓(さんろく)に築いた高度な文明
約3万年前、天御祖神は地球から約250万光年離れたアンドロメダ銀河から、約20万人の大船団を率いて、富士山の麓に降り立ちます。そして、人々を啓蒙して日本に「精神文明」をつくるため、言葉を教え、精神的な高みを説きました。その教えが、日本に流れる宗教的思想の源流や武士道の始まりとなります。
また、道具のつくり方や独特の金属的な物質の使い方なども伝えたことで、金属製ピラミッドや鳥型の飛行機がつくられ、地熱発電も行われるなど、高度な文明が築かれました。富士の裾野には、こうした片鱗が埋まっている可能性も……。
日本から文明は広がった
通説では、大陸や南のほうから人が渡ってきて文化が伝わり、日本文明ができたと言われますが、真実はその逆だと言えます。大川総裁の霊査によると3万年前当時、日本は大陸と一部つながっていて、人や動物の交流もあり、天御祖神の教えが姿形を変えてユーラシア大陸などに広がるなど、文明の発信地であったのです。
霊言で判明!天御祖神を知る霊人たちが語る御姿
行基菩薩(3万年前当時の名は天御助神(あめのみたすけのかみ))
奈良の大仏ほどの大きさで、銃弾も矢も通らない、ダイヤモンドのような「金剛身」をお持ちでした。金剛力士像にとても似ていると思います。
アンドロメダの天御祖神の従者
その人の心に合ったようにしか見えないので、本当のお姿は分かりませんが、私には、お相撲さんが白い褌(ふんどし)をしているようなお姿に見えました。
天御祖神を迎えた元祖大和姫神(やまとのひめがみ)
とってもハンサムでした。体は多少変化できるのだと思いますが、恐竜がたくさんいることを考えられて、大きめのお体で来られていました。
地球に住んでいた防衛隊長
石英のような石を割ったものをつなぎ合わせた衣装を着ているように見えました。虎を捕獲する用の穴をお風呂に作り変えたほど大きかったです。
天御祖神から流れる日本の文化
天御祖神の教えや姿、生活のなかには、現在まで伝わる日本文化の源流となっているものもあります。その一部をご紹介します。
相撲
天御祖神の体は25mあり、金剛力士像のような姿をしていたといいます。従者たちも力士のように体が大きな人が多く、彼らはいざというときの警備の仕事に備えて体を鍛えるために相撲を取っていたそう。
ちょんまげ
天御祖神の髪型は、ソフトクリームのような形で、炎や泡のようにも見える髪が巻かれて立っていて、それが後の殿様のちょんまげにつながっているのではないかと言われています。
歌舞伎
霊言では、天御祖神の顔は、「歌舞伎役者のような派手な顔立ちで、メイクをしている」という証言も。歌舞伎や能の独特なメイクは、天御祖神から来ているようです。
日本刀
身の回りを護るための武器として、日本刀の原型に当たる剣を持っていました。既に「剣の道」があり、刀剣類の使い方やつくり方なども天御祖神から教えられたようです。
温泉
天御祖神は温泉をとても気に入り、富士山と海を眺む場所には、巨大なお風呂がつくられました。たらいに乗った湯女が、巨大なブラシで体を流していたそう。現在、静岡県は源泉数が本州で最も多い温泉地となっていますが、その温泉文化は天御祖神から流れているのかもしれません。
Column 強羅(ごうら)に眠る天御祖神
天御祖神の先遣隊として地球に降り、天御祖神を日本の地に迎えた元祖大和の姫神によると、天御祖神は1000年ほど生きられ、姫神と一緒に箱根の強羅温泉の近くに葬られたそうです。
天御祖神が伝えた日本の風習・習慣
お辞儀・合掌
日本では礼儀正しさが重んじられますが、天御祖神が日本人のルーツとして教えたのが、「合掌してお辞儀する」という習慣でした。
神社の神様の通り道
神社では、参道の真ん中は神様が通る道のため参拝者は端を歩きますが、その風習は天御祖神が集会をする際に既にあったそう。
人生の節目の儀式
成人式、結婚式、葬儀などの儀式は、人生の節目に、神に「証人」として認めてもらうという教えが伝わったもののようです。
祭り
日本には祭りが数十万とありますが、祈願すると同時に、神様への奉納として祭りをする風習は天御祖神が人々につくらせたそう。
結界の思想
神聖な場には魔を一切近づけないという「結界の思想」や、塩や水、縄などを使った禊みそぎ祓はらいも、天御祖神の時代からあったようです。
柏手
神社参拝の際は柏手を打ちますが、手拍子の音を利用して魔を弾き、邪気祓いをすることの原点は天御祖神と考えられます。
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