子どもの教育に携わる者にとって、ヘレン・ケラーを教育したサリバン先生は「先生のお手本」のような方です。障害を持つ子供への教育という枠を超え、すべての親と教育者が学ぶべき愛と精神がそこにあります。
サリバン先生は、一体どのようにして暗闇の中にいたヘレンの心の扉を開き、知性の光を与えたのでしょうか。
野獣のような孤独な少女
子供が周りの人や環境から学習しつつ成長するためには、見る力、聴く力というのは不可欠といえるほど重要ですが、ヘレンは、熱病のためにわずか1才半で視力と聴力を失いました。
何の音も聞こえない暗闇の中で、孤独にもがいていた6才のヘレンは、まさに野獣のような子供でした。フォークは床に投げ捨て、ごはんは手づかみで食べ、足りなければ他の人のお皿に手を突っ込む。行動の基準は、やりたいか、やりたくないか。気に入らないものはすべて壊して回り、一度かんしゃくを起こすと地団太を踏んで泣きわめき、誰にも手が付けられなくなる。ちょうどイヤイヤ期ピークの2才児のようでした。
両親であるケラー大尉とやさしいお母さんは、「仕方がない」と思いながらヘレンを甘やかして育てます。けれど、せめて一家の恥にならないように、人並みにごはんを食べ、人様の手を借りずに、人並みに一日を過ごせる人間にしなければならないと考え、呼ばれて来たのがサリバン先生でした。
「わたしの先生」
サリバン先生はまだ二十歳という若さでしたが、ヘレンに出会ってすぐに気づきました。「あなたは知りたいのね。学びたいのね。成長したいのね!」
サリバン先生には、ヘレンの中にある知的欲求がキラキラと輝いて見えました。しかし同時に、教育されていないヘレンには、魂の力のようなものが欠けている、と感じました。
わが子を甘やかして言いなりになる両親からヘレンを引き離し、ふたりで遠くの離れに住み、サリバン先生の教育が始まります。
サリバン先生は、ヘレンがまず「従順さ」を学ばなければ、知識だけでなく愛さえもその魂には入っていかないと考えました。「従順さ」とは、奴隷のように人の言いなりになることではなく、自分より優れた者の存在を認め、その人から素直に教えを学ぶ精神のことです。もちろんヘレンは徹底的に抵抗しました。ナプキンを投げ捨て、サリバン先生を叩き、蹴り、暴れて逃げ回ります。しかし、サリバン先生は決して譲らず、あきらめず、忍耐強くヘレンをしつけます。
「私のかわいいヘレン」「賢く美しいヘレン」――サリバン先生の手紙の中には、ヘレンを愛(いと)しく思う言葉がくり返し綴(つづ)られます。だからこそ厳しく育てるのです。それは、愛ある厳しさです。
わずか二週間で、ヘレンの心に、サリバン先生への強い信頼が生まれます。さらに数週間後、ヘレンは「WATER(ウォーター)」(水)という言葉を獲得しました。ヘレンの心に知性と希望の光が差し込みます。外の世界と繋がる扉が開かれたのです。どんなにうれしかったことでしょう。ヘレンは、この忍耐強い恩人を「先生」と呼ぶようになりました。(次回に続く)
(「Are You Happy?」2015年5月号)