エピソードでつづる 心が折れなかった女性たちの生き方

どんな苦難や困難にも心折れることなく信念を貫き、大きな功績を残した世界の女性たちをご紹介します。

夫・陸奥宗光を支えた「ワシントン社交界の華」―陸奥亮子(1856~1900年)

稀代の政治家、外交官として明治時代に大きな足跡を残した陸奥宗光。その妻・亮子は深い愛と強い心で夫の成功を支えました。

芸妓として働いていた亮子は妻を亡くしたばかりの宗光と知り合い、その人柄と、日本のために奔走する姿に惹かれ、17歳で結婚。宗光と前妻との間のふたりの子どもにも実子のように愛を注ぎ、「自分が育てたい」と結婚を急いだとも言われています。

結婚後、一女を授かり、西南戦争で宗光が禁固5年の刑に処されると、亮子は懸命に子どもたちを育てながら夫の帰る日を待ちました。

やがて出所した宗光は駐米公使に。亮子は公使の妻として恥じない美しさや話術、立ち振る舞いから「ワシントン社交界の華」と呼ばれ、宗光の地位向上に大きく貢献しました。妻の支えもあり、宗光はメキシコとの間に日墨修好通商条約を締結、欧米諸国との不平等条約を撤廃するなど、日本の外交に大きな一歩を残します。

宗光の死後、亮子は宗光に8歳になる婚外子がいると聞かされます。亮子は怒りも落胆もせず、その子どもを長男の養子として引き取り、慈しみ育てたそうです。こうした、幕末から明治を生きた日本女性の強い心が、日本の開国を陰で支えていたのです。

宗教の違いを越えて愛と奉仕で人々を慈しんだマザー・テレサ(1910~1997年)

インドで奉仕活動に生涯を懸けたマザー・テレサ。何度も命の危険にさらされましたが、奉仕こそが神から与えられた使命と信じ、心折れることなく活動を続けました。

ヒンズー教の聖地とされる、女神カーリーを祭る大寺院の一部を提供されたときのこと。テレサはその建物を「死を待つ人々の家」と名付け、道で行き倒れる瀕死の人を保護して手厚く看護し、臨終の際にはそれぞれの宗教に合わせた形で天国へ送りました。人々は神に愛されている実感のなか、安らかに旅立っていったそうです。聖地にカトリックのシスターがいることを快く思わないヒンズー教徒から石を投げつけられるなどの迫害を受けましたが、テレサはこの奉仕活動をやめようとはしませんでした。

ある日、路上にヒンズー教の僧侶が倒れていました。コレラに感染したために「病気がうつる」と見捨てられたのです。テレサはすぐに彼を「死を待つ人々の家」に運び、臨終を看取ります。夜、ひとりのヒンズー教の僧侶が訪れてこう話しました。

「今日亡くなったのは私の親友です。彼の臨終を看取ってくれて、ありがとうございました。あなたは生けるカーリーの女神です」

以来、いやがらせはぴたりと止みました。苦難に遭ってもあきらめず、宗教を超えて人々を慈しみ続けたテレサの姿が、信仰の違いによる迫害を乗り越えたのです。

霊的確信で三重苦を乗り越えたヘレン・ケラー(1880~1968年)

「三重苦の聖女」として知られるヘレン・ケラー。1歳7カ月で、原因不明の高熱により視力と聴力を失うという試練に遭いながらも、猛勉強の末に名門ラドクリフ女子大学(現・ハーバード大学)を卒業。講演や著作の執筆を通じて、福祉制度の普及や世界平和を訴える活動に生涯を捧げ、世界中の人々を勇気づけました。

彼女の心を支えていたもの、それは、両親の深い愛情と、ヘレンを献身的に支え続けた家庭教師のアン・サリバン女史の存在、そして何より、揺るぎない信仰心でした。講演先などで、「あなたは幸福ですか?」と質問されると、ヘレンは決まって、「ええ、幸福です。私は神様を信じていますから」とほほ笑みながら答えたといいます。

ヘレンは子ども時代、主教様から神や霊的世界の話を聞くのが好きで、「神は愛であり、神は人間の父であり、人間は神の子どもである」という信念を持っていました。さらに、13歳のとき、神秘思想家スウェーデンボルグの著書を点字で読み、その内容に深く共鳴します。スウェーデンボルグは体外離脱などの神秘体験で知られていますが、ヘレンも12歳のとき、体外離脱をして、ギリシャの都市アテネを“見て”きたことがあったのです。

それらの体験を通してヘレンは、「魂というものが確かに存在し、人間は肉体の中に魂が宿った存在である」こと、「身体に障害があっても魂は健全である」ことを確信しました。そして、「障害は神から与えられた運命であり、恩恵である」と、自らの障害に積極的意味を見出していたのです。神の愛を信じ、明るく前向きで、霊的な人生観を持っていたこと。それこそが、ヘレンの決して折れない心をつくったといえるでしょう。

弾圧に屈せず祖国の解放を求め続ける「ウイグルの母」―ラビア・カーディル(1947年~)

「民族同化」を建前とする中国共産党に、侵略や弾圧を受ける東トルキスタン(ウイグル)。祖国を取り戻し、人々を解放するために、命をかえりみず活動を続ける女性がいます。

ラビア・カーディルは幼いころに「東トルキスタンを解放し、人々を飢えや貧困から救う」と誓い、天性の商才で一躍、中国十大富豪のひとりに。世界でもっとも有名なウイグル人女性になりましたが、侵略と弾圧を海外に訴える演説などにより、99年に不当逮捕され、投獄されてしまいます。

逮捕された活動家たちの多くが自らの主張を曲げてしまうほどの暴力と洗脳に6年間さらされながらも、ラビアは自分の使命を信じて正気を保ち続けました。

世界ではラビアの釈放と、ウイグル人への人権侵害の停止を求める運動が活発化し、05年、釈放されたラビアはアメリカに亡命。命の危険にさらされながらも、圧力に屈することなく「世界ウイグル会議」総裁として、今も解放を求める活動を続けています。

(「Are You Happy?」2013年3月号)

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