障害と生きた偉人〔義足で内閣総理大臣を務めた大隈重信 他〕

障害と生きた偉人

障害がありながら活躍する人々は、暗闇に灯されたランプの光のように、私たちに強い印象を残します。そうした偉人たちの光り輝く人生をご紹介します。

 

片足で日本を動かした総理大臣-大隈重信

早稲田大学創立者であり、義足で内閣総理大臣を務めた大隈重信。外務大臣時、不平等条約の改正を巡って爆弾テロに遭い、右脚を失って義足での生活を余儀なくされるが、その後、板垣退助と憲政党を結党。薩長藩閥以外で初の内閣総理大臣となり、政党内閣を誕生させた。

大隈はテロ犯について、「爆裂弾を放りつけた者を憎い奴とは少しも思っていない。いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する。若い者はこせこせせず、天下を丸のみにするほどの元気がなければだめだ」と語っている。

 

世界を変えた点字の父-ルイ・ブライユ

1809年フランスに生まれたルイ・ブライユは、3歳のときに事故と感染症で視力を失う。視覚障害者はほとんど教育を受けられない時代、ブライユは幸運にもフランス唯一の盲学校に通うチャンスを得た。目が見えなくても教育のチャンスは与えられるべきだと考えたブライユは、わずか15歳で点字を開発。盲学校の教師として、また点字の研究者として43年の生涯を捧げ、世界の視覚障害者の人生を大きく変えた。

 

車椅子の女性企業家-マルガレーテ・シュタイフ

1847年、ドイツの小さな町に生まれたマルガレーテ・シュタイフ。わずか1歳半で骨髄性小児麻痺を患い両足と右手が麻痺、車椅子での生活を余儀なくされる。

母親は自立した生活をさせるために洋裁を習わせ、1877年、その技術を活かしてフェルト製品専門店を企業。動物のぬいぐるみやテディ・ベアが生まれ、今では世界中の子供たちに愛されている。病をものともせずに女性企業家として大成功を収めたマルガレーテは、ドイツの働く女性の希望となった。

 

母の愛に育てられた「発明王」-トーマス・エジソン

蓄音器や白熱電球、強化セメントなど、生涯に1300もの発明をし、人類文明の発展に大きな功績を遺した「発明王」トーマス・エジソン。今や誰もが認める天才だが、幼少の頃はADHD(注意欠如・多動性障害)特有の“知りたがり”な性格から、小学校を3カ月で退学させられてしまう。

しかし、母・ナンシーは息子の可能性を信じ、好奇心の赴くままに探求することを全面的に応援。家で教育を行い、エジソンの才能を引き出した。偉大な功績の影に、偉大な母の愛あり。エジソンの発明の功績は、母メアリーなしには語れない。

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