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紫式部-世界最古の長編小説を世に送り出した女流作家

紫式部

幼い頃から突出していた聡明さ

世界最古の長編小説「源氏物語」の作者、紫式部。正確な生没年はわかっていませんが、970年前後に生まれ、1010年前後まで生き、執筆活動を続けたとされています。

紫式部の「式部」は父・藤原為時の役職、式部丞・六位蔵人からきています。紫式部の祖先は藤原家の名門「藤原四家」の中でも特に名門と名高い藤原北家の藤原冬嗣。紫式部の曽祖父・藤原兼輔は三十六歌仙のひとりに数えられるほどの歌人で、勅撰和歌集に45首も採用されている和歌の天才でした。祖父・藤原雅正も才能ある歌人で、後撰和歌集に7首採用されています。叔父ら親戚も名の知れた歌人が多く、芸術的才能にあふれた名門一族でした。

紫式部も幼少時からその聡明さや学才を発揮し、父が紫式部の兄弟に司馬遷の『史記』を教えていたところ、傍らで聞いていた幼い紫式部が先に覚えてしまった、という逸話が「紫式部日記」に残されています。紫式部は大変な読書家で、特に中国文学の影響を大きく受けました。

教養の深さを買われ、宮中へ

成長した紫式部は藤原宣孝と結婚します。紫式部は27、8歳。宣孝は45歳前後と、当時としては晩婚、歳の差婚でした。やがて娘の賢子を授かりますが、1001年、宣孝が死去。幼子を抱えた未亡人となった紫式部は、悲しみのなか、何かに突き動かされるように物語を書き始めます。それが「源氏物語」と言われています。

書き進めるにつれて宮中で評判になり、やがて藤原道長の目に留まります。おりしも道長の娘・彰子が一条天皇の妻として即位。天皇にはほかにもたくさんの妻がいたため、道長は彰子が天皇に気に入られる策を考えていました。そこで天皇の話し相手となれるだけの教養を彰子に身につけさせるため、紫式部に家庭教師を命じ、宮中に引き上げます。

出世した形になりましたが、中国文学の講義などは当時、優秀な男性官僚の仕事。女性ながらに漢文が読め、教養にあふれた紫式部は嫉妬の的でした。「日本記の御局」というあだ名をつけられ、悪口やいじめを受けます。あまりの状況に一度は実家に帰った紫式部ですが、道長と彰子に気に入られていたため、泣く泣く宮中に戻ることに。その後は周囲に対してわざと呆けたように振舞い、自分の才能を隠していました。

「源氏物語」「紫式部日記」の完成

紫式部は執筆を続け、ついに源氏物語が完成。現在の原稿用紙およそ2000枚、全54帖の超大作でした。元々は皇族の光源氏が、あえて中流貴族に降りた宮中での人生を中心に描かれており、特に宮中の中流から少し下流の描写が高い評価を受けています。紫式部は家族や親戚との記憶や経験、宮中で感じたこと、そして自らの漢文学の知識を総動員したのでしょう。

「源氏物語」が好評を得た紫式部は、いじめへの反論の書「紫式部日記」を発表。これは宮中で起きた事件や、紫式部の本心や思想がよくわかるもので、「枕草子」の作者、清少納言に対しての批評なども赤裸々に書かれています。しかし冷めた目で客観的に評論しており、その観察眼は賞賛に値するもの。日記でありながら、優れた芸術作品として仕上がっています。

宗教的な一面

歌人、小説家としての面ばかりがクローズアップされますが、非常に宗教的な女性だったと伝えられています。源氏物語を執筆したのは廬山寺の境内で、当時浄土教で活躍していた源信が近くに住んでおり、紫式部は源信から大きな思想的影響を受けました。

もしかしたら、紫式部は夫を亡くした後、出家したかったのかもしれません。道長と彰子に気に入られ、経済的な心配がなくなるにも関わらず、宮中に上がるのを嫌がった理由は、いじめだけでなく、そのような事情もあるのではないでしょうか。

源氏物語の第五帖「若紫」には、僧の祈祷によって病から立ち直った光源氏がお礼に宴席をもうけ、その僧と泣く泣く別れを惜しむという名場面がありますが、この僧のモデルは源信といわれています。作品の象徴的なシーンに登場させるほど源信を慕い、その思想に影響を受けていたのです。源氏物語は宮中の華やかさを描く一方、厭世的な場面もありますが、そこにも源信の宗教的な影響を受けているという説が有力です。別れのシーンでは光源氏に自分を重ね、出家できない悲しみを表現していたのかもしれません。

波乱万丈の人生を生きた紫式部ですが、その一生は、苦難や困難に負けない強さと、批判や批評に負けない信念こそが芸術作品を完成させるということを伝えています。紫式部の人生は、どんなに不幸に思えることも後の人生を拓く扉であり、スタート地点であること、そして明るく、前向きに生きることの大切さを教えてくれています。

(「Are You Happy?」2013年6月号)

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鈴木真実哉 

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ経営成功学部ディーン

1954年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。同大学大学院経済学研究科修士課程と博士課程で応用経済学を専攻。玉川大学、法政大学講師、上武大学助教授、聖学院大学教授等を経て、2015年4月よりハッピー・サイエンス・ユニバーシティ 経営成功学部 ディーン。同学部プロフェッサー。著書に『理工系学生のための経済学入門』(文眞堂)他がある。

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