宗教教育の大切さ
世界の多くの国々では、学校へ上がる前の幼少期から、宗教教育が行われています。
宗教教育とは、子どもたちに、神さまと、神さまの教えについての学びを与え、人間にとってもっとも大切な「宗教的情操」を養う教育のことです。
動物的本能のままに生きるのではなく、親なる神に創られた尊い神の子、仏の子として、良心に従って生きることを教え、善悪をきちんとわきまえつつ、つねに善を選び取って生きることを教えるのも、宗教教育の役割です。
また、礼拝や祈りなどの宗教的作法を身につけることで、神さまという尊い存在に対する尊崇の心や、人間としての謙虚さ、礼節ある美しい態度も養われます。
こうした教育が、なぜ幼少期から必要かというと、十歳、十一歳になる前に宗教的情操をつくっておかないと、人間の魂が善なる方向に向かっていかないと考えられているからです。学校で高度な学問や知識を学んだ後では、かえって学問や知識がじゃまをして、宗教的真理が心の深いところに浸透しにくくなります。まずは、人間としていちばん大切なことを教えることが大事なのです。これが、世界標準の教育です。
日本の教育の問題点
これほど大切な宗教教育が、日本ではほとんど行われていません。それが、この国の教育の最大の問題点だと思われます。
そして残念なことに、真理とはかけ離れた唯物的な考え方が、日本では長くもてはやされてきました。
ダーウィンが言ったように、人間は、偶然が重なってたまたまサルから進化した動物の一種で、八十年生きて死んでいく存在にすぎない。あなたという個人も、精子と卵子がたまたま結合してこの世に出現し、その個性は、遺伝子情報によって決定されている……。
こうした思想を語る人たちがいますが、ここからは、崇高な人生観も世界観も何も生まれないでしょう。未来ある子どもたちには、希望に満ちた正しい教育を行ってあげたいと願います。
神さまを信じて生きるということ
エンゼルプランVの教室では、このように神さまのお話をします。
「神さまはね、みんなの魂をつくってくださった方。世界中のみんなのお父さんのような方なの。『みんな、しあわせになあれ。すばらしくなあれ』と、いつも願ってくださっているのよ。ほんとうにありがたいねえ」
生まれた国が違い、言語が違い、環境が違っても、人間はみんな、愛することは素晴らしいことだと知っている。殺しあうことはいけないことだと知っている。それは、親なる神さまが、同じただひとりの方だからです。
わが子に「あなたはサルの末裔よ」と言って育てるのがよいか、それとも「あなたは、神さまという素晴らしい方が創ってくださった、素晴らしい存在なの。神さまに向かって無限に成長することができるのよ」と言って育てるのがよいか。答えは、明白だと思います。
(2013年4月号「子育て110番」)
奥田敬子
早稲田大学第一文学部哲学科卒業。現在、幼児教室エンゼルプランVで1~6歳の幼児を指導。毎クラス15分間の親向け「天使をはぐくむ子育て教室」が好評。一男一女の母。