やっぱりすごかった!聖徳太子の生涯と伝説

日本仏教の祖であり、聖人のような高い人徳を備えた政治家と伝えられる聖徳太子。1400年の時を経てもなお、日本史上もっとも傑出した偉人として尊敬され続けています。その激動の生涯と驚きの伝説を、太子ゆかりの地とともにご紹介します。

――誕生 574年

538年、日本に仏教が伝来すると、それを奉じる蘇我氏と、日本古来の神を祀る物部(もののべ)氏が対立。政権が二分化する危機的な状況のなかで、聖徳太子は、後に用明天皇として即位する橘豊日皇子(たちばなのとよひのみこ)と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)との間に誕生しました。

太子を妊娠するとき、穴穂部間人皇女の夢に、光り輝く僧が現れたと言われています。僧は、「われに救世の願あり。しばらく皇女の胎に宿る」と告げ、皇女の口へ飛び込みました。まもなく皇女は妊娠しましたが、十月十日経っても誕生の兆しは現れず、夢からちょうど1年が経った元旦、皇女が馬屋を通りかかったとき急に産気づき、出産します。このことから、子は「廐戸皇子(うまやどのみこ)」と名づけられました。

新約聖書のキリスト誕生にも似たこの誕生伝説は、太子の神秘性を今に伝えています。

すごい伝説① わずか2歳で「南無仏」と唱え合掌!

幼少期から仏教への篤い信仰を持っていたと言われる聖徳太子。誕生後、拳を開こうとしなかった太子が、2歳になった年の仏陀が入滅した2月15日、誰に習ったわけでもなく、自ら東に向かって手を合わせ、「南無仏(仏陀に帰依します)」と唱え、そのとき手から仏舎利がこぼれ落ちたと言われています。太子は7歳までこの習慣をやめなかったとか。生まれてすぐ7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と唱えたという仏陀の言い伝えを想起させる逸話です。

本誌では上記の続きと、下記の記事をお読みいただけます
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