「茶道と剣道から紐とく奥深い日本の文化と美しい精神」中村孝則さん

コラムニスト、美食評論家として世界中を飛び回る一方で、剣道教士七段、茶道教授の顔を持ち、日本の魅力を広く発信し続けている中村孝則さん。
日本文化の奥深さと精神美を知り尽くした中村さんに、日本そして茶道と剣道の魅力をうかがいました。(2018年11月号より一部抜粋)

 

お茶との出合い

大学卒業後、雑誌の編集がやりたくて、いろいろなライフスタイル誌で車やファッションといった海外のカルチャーを紹介していたのですが、あるときふと、“自分は日本文化のことをあまり知らないな”ということに気づいたんです。そんなときに、たまたま大学時代の友人のお母さんが茶道の先生で、内弟子を募集しているという話を聞いて入門したのが、茶道との出合いです。友人5人くらいとノリで入門したのですが、その先生がものすごく厳しくて、友人は全員辞めてしまって(笑)。でも僕は、その先生のおかげでおもしろくてハマってしまい、それからもう30年以上続けています。

茶道の歴史で分かる日本の美意識の変遷

諸説ありますが、お茶は鎌倉時代に栄西が禅と一緒に日本に持ち込んだもので、禅寺から徐々に全国に広まっていったと言われています。お茶は一杯、二杯ではなく一服、二服と言いますが、それはお茶がもともと薬だったからです。要するにお茶はカフェインなんですよ。禅の修行のいちばんの敵は睡魔なので。当時は他にカフェインなんてなかったので、初めて飲んだ人はすごく不思議な感覚がしたと思います。

茶道の歴史は、千利休が侘び茶を確立したとすれば約四百数十年くらいです。そのころはまだ流儀はなく、お茶のあり方も今とは随分違っていたと思います。当時、お茶はたいへん高価なもので、身分が違う者同士が同じ茶室で同じ茶碗で回して飲むというのは相当衝撃的なことで、緊張感もすごかったはずです。茶室では刀を置くということになってはいても、下手したら斬られてしまうわけですから。茶道でも日本舞踊でも畳のヘリは踏みませんが、それはなぜかと言うと、畳と畳の間から刀で突かれることがあったからと言われます。

多くの人は“今の時代の価値観”だけで物事を捉えていますが、お茶や剣道は封建時代のものなので、その時代の人々の価値観というものも学べます。器にしても、当時は電気がなかったので自然光の中で見ていましたが、現代はコントラストの強いビジュアルに慣れているので、現代の価値観から見ると、なぜそれがいいのか分かりづらい。でもお茶をやっていると、“ものを見る目”が鍛えられて、自分の中にいくつかものを見たり考えたりする軸ができてくるんです。いろいろな角度から物事を捉えることができるようになるのも、茶道や剣道をやるひとつの醍醐味なのかなと思います。

茶碗にしても、中国の唐物が全盛だった時代から、渋好みの千利休によって侘びたものに美の価値を見出すようになったり。お茶をやっていると、そういった日本の美意識の変遷や文化的な背景も分かってきます。日本の伝統工芸やファインアートもすべてお茶につながっているんですよ。僕は、お茶というのは総合芸術であり、「もてなし道」だと思っています。お茶や剣道をやっていると、昔の人は人間力がすごかったんだろうなというイメージは膨らみますね。どちらも対人的なものですから、相手のことが分からないと、もてなしにも戦いにもならないので。

 

精進によって感覚が研ぎ澄まされる

僕の先生は、とにかくすごく厳しくて、カリスマ的に感覚が鋭い人なんです。あるときお点前の稽古をしているときに、まばたきをしたらだめだと言われたんです。「15分くらい我慢できるでしょ」と。でも目も乾いてきますから、先生に背を向けているときにまばたきをしたんですよ。そしたら「今、まばたきしたでしょ! 茶室の空気が揺れてるわ!」と、ものすごく怒られました(笑)。

剣道でもそういうことはあって、「遠山の目付」という極意があるんです。1カ所にピントを合わせないで全体を見るということなんですが、例えば小手にピントを合わせると、そこを打ってくるのが分かってしまうんですね。自分の心もそこに居ついてしまい、ほかが見えなくなってしまうので、全体を見ることはとても大切なんです。でも、あるとき八段の先生との稽古で、そうやって見ないようにして打ったところを、パンッ! と返されたんです。あとで先生に、「どうしてあのタイミングで打ってくるって分かったんですか?」と聞いたら、「瞳孔が開いたから分かったよ」と。

お茶にしても剣道にしても、制約されたちょっと特殊な環境の中で精進していると、潜在的な能力が開いてくるのでしょうか。スポーツをやっている人が、よく‟ゾーンに入る”と言いますが、ゾーンに入ったときは、感覚が研ぎ澄まされて、時間や距離の感覚が変容していく感じがします。剣道だったら、相手が打ってくる気配がだんだん分かるようになってくる。人間はまだまだ潜在的な力を使いきれていないんじゃないのかなと思います。茶道も剣道も悟りへの道なのかもしれません。

 

剣道の美意識と武士道精神

剣道を始めたのは小学4年生のときなので、もう40年以上続けています。今も東京にいるときは1日おきに道場に行っていて、1回の稽古で体重が2キロくらい落ちるので、けっこうハードにやっていますね。ついやりすぎてオーバーワークになってしまうので、周りからは注意しろと言われているんですけど。

剣道は日本の武士の文化を源流にしているので、剣道のことが分かると武道の歴史や美意識のようなものも分かってくるんです。剣道ではプロテクターをつけますし、刀ではなくバンブーなので死にませんが、一応殺し合いなんですよね。でもその戦いの中にすごく美意識を入れるわけです。卑怯な戦い方はだめですし、残心がないと一本になりません。残心というのは、例えば試合で面を打った後、竹刀を相手の喉元にぱっとつける動作です。その意味合いのひとつは、油断してはいけないということ。例えば、戦で相手の首を落としたとしても、胴体は斬りにくると言いますので、油断せず最後まで見届けないといけない。そしてもうひとつは、相手への敬意として心を残しておくということです。

剣道はスポーツではなく宗教観

剣道は、日本のことを理解してもらえるいいコンテンツだと思っています。剣道の試合は全国でたくさんやっているので、もっとオープンにしてたくさんの人に観に来てもらえるようにしたらいい。築地のマグロの競りが外国人に
人気ですが、死んだマグロを見るんだったら、生きた剣士を見たほうがよっぽど日本のことを理解してもらえると思いますよ。

剣道はスポーツではないんです。それを海外の人に説明するのは難しいのですが、僕は「ある種の宗教観だよ」と言っています。禅ですよ、修行ですよと。剣道というのは、闘争心と恐怖心の解決を、実戦を通して体感していくという修行で、究極は相手を倒すことではなく、相手を理解し、お互いを高め合うことです。人間の業として、戦争や紛争はなくならないかもしれませんが、剣道を通じて闘争心や競争心を昇華した境地にたどり着けたら、少しは余計な戦いは減るんじゃないかなと思うことはあります。

戦後GHQの統制下で、剣道は5年間禁止になったことがありました。ここに日本人の強さの根幹があったことを、彼らはよく分かっていたわけです。ですので、剣道を守ることは、この日本という国を守ることにもなると強く信じています。

(「Are You Happy?」2018年11月号)

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1964年、神奈川県生まれ。青山学院大学卒業。ファッションからカルチャー、旅とホテル、ガストロノミー、ワインやシガーまで、ラグジュアリー・ライフをテーマに雑誌や新聞等で執筆活動を行うほか、テレビ番組の企画や出演、トークイベントや講演活動も展開。2007年、シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年にはスペインよりカヴァ騎士の称号を受勲。同年ノルウェー王国大使館より「Hr. StyleNorway」を叙任し、両国を結ぶ親善大使の役割を担っていた。また2013年からは「世界ベストレストラン50」「アジアベストレストラン50」の日本評議委員長を務める。2017年、EU(欧州連合)に任命され、イタリアのパルマハム協会ならびにグラナパダーノチーズ保護協会のアンバサダーに就任。日本文化にも造詣が深く、「渋谷金王道場」所属剣士で剣道教士七段。「大日本茶道学会」茶道教授。著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)、共著に『ザ・シガーライフ』(ヒロミエンタープライズ)などがある。