幸福実現党を率いる女性党首・釈量子。街頭演説で真剣に政策を訴える姿からは、ある種の男らしさを感じるが、一方で、女性や若者の相談に涙ながらに答えるような情に厚い一面も持ち、老若男女問わず親しまれている。そんな釈の強さや包容力の根源に迫る。
どんな幼少期を送っていたのですか?――そう尋ねると、笑いながら「一言でいえば“悩み”ですね」と答えてくれた幸福実現党党首・釈量子。釈の悩みは尽きることなく、いつしか「自分は何者なのか。どこから来て、どこへ行くのか」という人間として根本的な問いへと変わっていった。そして、その“答え”を与えてくれたのは、大学生のときに出合った幸福の科学の教え(仏法真理〈ぶっぽうしんり〉)だった。
幼少期から「善悪」に悩む
釈は1969年に東京都小平市に生まれた。幼いころから、夢は「婦人警官になって悪い人をこらしめたい」というくらい、“善悪”に対する観念が強かったという。
「ずっと『何が正しいのか』が分からなくて悩んでいました。幼稚園児のころ、親戚のいる秋田県に行くために家族で夜行列車に乗ったんです。そのとき、両親から家でいつも使っているものとは違う使い捨ての歯ブラシを渡されたので、『もしかしてお父さんがどこかから盗んできちゃったのかな!?』と勘違いして悩んでしまったことがあります」
小学生のとき、ある事件が起こる。
「友達の上履きを勝手に履いていたら、『上履きがない! 盗まれた!』と大騒ぎになってしまったんです。それで本当のことを言い出せなくなって苦しみました。結局後でバレて先生に思いきり怒られたのですが、『嘘をついてはいけない』と、身を持って学びました」
この罪悪感は何年も消えなかった。
「どうしよう」が口癖の学生時代
小学校は、素晴らしい先生ばかりで生徒の仲もよく、理想的な学校だったが、中学に進学すると環境は激変する。当時は、不良少女を描いたドラマ「積木くずし」が流行し、「青少年の非行」が社会問題化していた。世の中全体が暗く、学校は荒れていた。
「私も急に友達の態度が冷たくなって悩んだりしました。ケンカの仲裁に入るのに声を荒げざるを得なかったりすることも。『どうして人はぶつかるんだろう……』。そう悩み始めた時期です」
高校に進学すると、弓道部で部活動に打ち込む。しかし、ここでも人間関係のトラブルに直面した。
「納得できないことがあっても先輩に訴えることができなかったり、自分よりも上手な後輩が入ってきたことで悩んだり、『どうしたらいいの?』と迷い続けていました。
実はそのころ、『どうしよう』というのが私の口癖でした。友達から『聞いているとこっちまで嫌になるから、“どうしよう”って言いたいなら英語で言ってよ』とからかわれたくらいです(笑)」
「何をどうしたらいいのか」が分からず、その“答え”を探し求めていた高校3年生のときのこと。
「倫理の授業で、お釈迦(しゃか)様についての記述が出てきたとき、『ここに答えがあるんじゃないか』と思ったんです。それで仏教を学び始めたのですが、『なぜお釈迦様は苦行(くぎょう)をやめて悟れたんだろう』という疑問は残りました。
そんなときに、担任の先生から、女性作家・平塚らいてうの伝記小説をいただいたんです。らいてうが禅の『無門関(むもんかん)』を参究して、悟りの成果を師匠に報告し、認められるまでの過程を描いたものでした。しかし著者は仏僧(ぶっそう)にも関わらず、悟りの内容についてはまったく書かれておらず、『仏教に出家(しゅっけ)したはずの著者でも、悟りのことは分からないんだろうか』『悟りって何だろう』と気になり、知りたくて仕方がなくなりました」
“答え”を求めて、キリスト教の教会にも行った。しかし、そこでも求めているものは得られなかった。
衝撃の出合い――『太陽の法』
人間関係の葛藤は抱えながらも、宗教で説かれる“教え”や“悟り”に対する興味は高まっていく――。そんななか、19歳のときについに転機が訪れる。
「アルバイト先の先輩から『人間の心には思ったことや行ったことがすべて記録され、それによって死後の行き先が変わる』と聞いたんです。『この人は“何か”を知っている!』と直感しました。
それからというもの、その先輩について回って話を聞くようになり、あるとき、『太陽の法』(大川隆法 著)を手渡されたんです。家に帰ると、夢中になって一晩で読みました」
この世界はどうできているのか。どんな神様がいるのか。神様は地上とどう関係しているのか――。釈のこれまで抱いていた疑問がすべて氷解した。
「神秘的な内容でありながら、理路整然と体系的にまとめられている。その衝撃は、言葉では言い表せません。『この内容は嘘じゃ書けないよ!』と言いながら、翌日から友人たちにも勧めました」
書店に通っては大川隆法総裁の書籍を買い集める毎日。その後、何度もセミナーや学生たちの集会に参加するようになり、幸福の科学に入会する。しかし、“信仰”を持つことに対して、周囲の反応は決していいものではなかった。
「『太陽の法』を読んで、そのすごさが分からない人なんていないと思っていました。それで最初に父に勧めたのですが、『こんなものを読んで!』と怒られたんです。予想していなかった反応にびっくりしてしまいました」
家族や友人だけではなく、サークルの飲み会で先輩たちに『太陽の法』を一冊一冊手渡してみたり、大川隆法総裁の書籍を大学の生協に置いてもらえるように頼んでみたり、あらゆる方法で伝え続けた。
「禅においては『 禅機(ぜんき)』という悟りを得る機会が各人にあると言われていますが、それぞれの人には心が仏法真理と共鳴して火花を散らすような瞬間があるはず。それがいつかは人によって違うので分かりませんが、伝えたい。ただ、その一心でした」
フライデー事件
会員として活動に参加していた1991年。週刊雑誌「フライデー」が捏造(ねつぞう)記事で幸福の科学を中傷する“フライデー事件”が起こる。幸福の科学は徹底的に抗議し、釈もデモに参加した。
「あのころは、毎日のようにワイドショーで幸福の科学が取り上げられていました。母からは『まさかデモに行ってないでしょうね?』と反対されながら、せっせと参加していましたね」
しかし、釈が活動に熱心になるにつれ、周囲からの風当たりは強まる。
「友人が離れることも、嫌味を言われることも一度や二度ではありませんでした。特に親に信仰を否定されることは、娘として本当につらかったですね」
一方、当時は理解してもらえなくても後に分かってもらえることもあった。
「『常勝思考』(大川隆法 著)を渡したサークルの後輩から、大学を卒業して数年後に手紙が送られてきました。『大学生のときは分からなかったけれど、今になって感動しています。人生で苦しいことがないと、こういう内容は分からないものですね』と綴(つづ)られているのを見たとき、感動で胸が震えました。あのとき教えを伝えておいてよかった――心からそう思っています」
出家を決めたメッセージカード
大学卒業後、OLとして大手製紙会社に就職した釈。2年目の夏、「幸福の科学に出家しないか」という声がかかったが、家族の猛反対で断念する。
「『どうしても出家したい』と涙ながらに訴えましたが、『娘がおかしくなった』『宗教をやらせるために大学に行かせたんじゃない』と散々怒られ、両親を説得しきれなかったんです。それでも、『この真理で人々の役に立ちたい』という思いは捨てられませんでした」
そんなある日、同じ信仰を持つ友人からメッセージカードを受け取る。
「後悔しない人生を送ってね」――。
「この一言を見た瞬間、心が決まったのです。それからは家族に何を言われても『お願いします』『やらせてください』と必死で気持ちを伝えました。今でもそのカードは宝物です」
そうして時が過ぎていくなか、思いがけないところから救いの手が――。
「私を見て、本気だと伝わったのかもしれません。会社の上司が、父の説得に加わってくれたのです。『職場が嫌になって会社を辞めた人で成功した人はいないけれど、来ないかと引っ張られ、強い思いがあるのなら行ったほうがいい』と送り出してくれました。その上司には、感謝してもしきれません」
反省で消えた十二指腸潰瘍(じゅうにしちょうかいよう)
家族を説得し続けていたある日の会社の昼休みに、経験したことのないほどの激痛が腹部に走った。病院に駆け込み、エコー検査を受ける。検査結果は十二指腸潰瘍(じゅうにしちょうかいよう)。「明日、胃カメラで精密検査をしますが、痛みが増したらすぐに救急車を呼んでください。今にも穴が開きそうな危険な状態です」と言われ、這(は)うように家に帰った。
“体の病は心がつくり出している”。幸福の科学でそう学んでいた釈は自分の心を見つめ直す。
「痛みに苦しみ、『どうしてこんなことに……』と考えていると、ふと『出家できないことをすべて家族のせいにして、不満に思っているからではないか』と思い浮かびました。すると次の瞬間、スッと腹部の痛みが消えたんです」
翌日、腹部を見てみると、十二指腸潰瘍は跡形もなく消失していた。
「医師は『こんなはずはない』と頭をひねっていましたが、この経験で仏法真理への確信が深まりました」
一度出家を断念したときからおよそ3カ月が経ったころ、ついに父親の気持ちに変化が生じた。泣きはらす釈の姿を見て、「お前のやることに反対する権利はない」と言ってくれたのだ。
「いったんは許してくれたものの、出家してからも実家暮らしだったので、家族からは『いつ辞めるの』と言われ続けました。それでもだんだん理解してくれるようになって、今ではふたりとも応援してくれています。本当にありがたいです」と、釈は笑顔で語った。
信仰があるから何も怖くない
幸福の科学では、人事局や秘書局、活動推進局などさまざまな部局で経験を積んだ。
「広報局や月刊『ザ・リバティ』編集部では、社会問題に取り組みました。今は過労死や過労自殺が話題になっていますが、問題は長時間労働より、企業文化や職場環境が悪いことではないでしょうか。当時の私は、職場に布団を敷いて泊まりたいくらい、仕事がおもしろくて打ち込んでいましたから。
終電になった日は、『今日死んでもいいと思えるくらい仕事したなあ』と思いながら星を眺めて帰るのが幸せでした。今でも『いつ死んでも悔いが残らないように仕事をしよう』という信条を持っています」
その後、青年と学生を束ねるヤング・ブッダ局長に就任。そのころ、ある大きな経験をする。
「自分の過去の過(あやま)ちや悪い思いを振り返って反省し、心から涙を流したことがありました。その後、大川隆法総裁のご法話を拝聴していると、なぜか涙が止まらなくなったんです。
強烈な幸福感でハートが温かくなり、この世のものすべてが輝いて見えて、考えることのすべてに対して答えが降ってくる……。そんな不思議な感覚が3週間ほど続きました。
私にとって最大の幸福の瞬間であり、このときの感覚を思い出すと、『何が起きても怖くない』と思えるのです」
世界に幸福な人を増やしたい
釈は2009年に幸福実現党に入党し、政調会長代理として全国を駆け回る。青年局長や女性局長を歴任し、2013年7月に党首に就任した。
「党首の話をいただいたときは正直、不安がよぎりましたが、『困難なときを耐え忍び、最後に必ず勝つ!』と決意しました。万の単位の人々に影響を与えうる存在として、もっと自分自身の人格や徳を磨いていかなくてはなりませんし、幸福な人を増やしていくための勉強に終わりはありません」
最後に釈は、今後の抱負を次のように語った。
「『人のため』『国のため』と真摯(しんし)に仕事をしている政治家の方はたくさんいますが、そういう方ほど『人を幸せにする原則を知りたい』と願っているはず。国会に信仰を持つ仲間を増やし、日本と世界全体が幸福になるように尽力してまいりたいと思っています」
(「Are You Happy?」2017年4月号)