〔わたしの供養体験〕夫と死に別れて43年。幸せな供養に至るまで

若くして夫を亡くしたHさんは、「先祖供養をすれば幸せになる」という宗教を信じていました。
幸福の科学に出合い、先祖供養についての考え方ががらりと変わるまでの道のりとは。

20歳で旅館に嫁いで

東京で生まれ、広島で育った私は、小学1年生のときに実父を病気で亡くしました。昔、宮内庁に勤めていた父は亡くなる寸前、弟子に「自分が死んだら妻子を頼む」と言い遺し、母はその弟子と再婚したのです。
養父は優しい人でしたが、物静かで、家でもほとんど口を開くことがありません。私はそんな養父を尊敬することができず、「どうしてお父さんはこの人に私たちを託したんだろう」と思っていました。
20歳になったとき、私は主人とお見合いで出会い、H家に嫁ぐことに。結婚の前日、養父は私を呼んでこう言ったのです。
「幸せになるんだよ。これでやっと先生に顔向けできる……」
その言葉を聞いたとき、ハッとしました。戦後でまだ食べていくのも大変ななか、家族を養ってくれた養父に対して、これまで尊敬できなかったことに申し訳ない気持ちが湧いてきたのです。
(父のためにも幸せになろう。嫁ぎ先でも孝行して、良い嫁にならなくちゃ)

そう決意して嫁いだものの、結婚生活は想像以上に厳しいものでした。H家は旅館を営んでおり、私は将来の女将として、姑のもとで朝から晩まで走り回ることになります。姑は、近所の人から「あそこの嫁は3カ月ともたないだろう」と言われるほど厳しい人。毎日きつく当たられ、泣いて暮らしましたが、母と養父のことを思うと離婚を選ぶことはできませんでした。

そんなある日、知り合いから、「先祖供養をすれば、先祖が子孫を守ってくれる」と教えている宗教を勧められたのです。「親もいつかは先祖になるのだから、親孝行も先祖供養につながる」と言われ、母や養父に親孝行したいという思いや、姑との関係を改善できるかもしれないという期待で入信しました。

先祖供養をすれば……

その宗教では定期的に集まりがあり、悩みを話すと親身になって聞いてもらえました。そこでのアドバイスを受けて、少しですが姑との関係も改善。忙しいながらも平穏な生活を送っていました。

しかし主人が42歳のとき、突然腹痛を訴えて入院することになったのです。腹痛の原因は、検査を重ねても判明しません。
「先祖をもっと集めて供養しなさい。そうすれば、ご主人も守られるから」
そう言われた私は主人を助けたい一心で、お寺を訪ねて6代前の先祖まで調べ、全員に院号付きの法名を付けてもらい、過去帳に書き出しました。お経とともにその法名を読み上げ、本格的に供養をするようになったのです。

続きは本誌でお読みいただけます
▶ 心に聞こえた姑の声
▶ 夢に主人が出てきて…

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