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不登校、引きこもり…私が夢を描けるようになるまで

20代 米平 明子さん(仮名)

 

プツンと糸が切れたように不登校に

私が不登校になったのは、中学1年生の後半ぐらいからでした。

小学生のころはサッカークラブに所属するなど、スポーツ好きだった私はソフトテニス部で活動していたのですが、人間関係に悩まされるようになったのです。

通っていた中学校では、クラスの中でも同じ部活の子同士が固まっていて、私は同じソフトテニス部のクラスメイトから嫌がらせを受けるようになりました。

「明子って嘘つきだよね」
「私、明子のこと嫌いだな」

嘘をついたつもりもなく、嫌われるようなことをした記憶もないのに、そうした悪口を面と向かって言われ、悪口を書いた手紙を渡されました。

彼女が言うには「私はあなたのことが嫌いだから、あなたも私のことが嫌いに決まってる」のだそうで、「私のこと嫌いなんでしょ?」と後ろからささやかれ続けたりもしました。思わず泣いてしまうと、「私がいじめてると思われるから泣きやんで」と責められ、どうしていいかわかりませんでした。

部活のときは楽しく活動できたので、どうにかやり過ごしていたのですが、嫌がらせは長く続き、だんだんと「学校に行きたくない」という気持ちが強まってきたのです。行ったり行かなかったりする日々が続き、あるとき、プツンと糸が切れたように、完全に学校に行けなくなりました。

最初の数日は何も食べず、ひたすら部屋で寝ていました。そのころの記憶があまりないので、ぼーっとしていたのだと思います。とにかくひとりになりたくて、家族とも口もきかずに引きこもっていました。

不登校1

 

進学した高校も1年で中退

両親やきょうだいが心配しているのはわかっていましたが、しばらくは顔も合わせないようにしていました。会うのが嫌だったのではなく、ただ、ひとりになりたかったのです。

誰もいないタイミングを見計らって台所に食べ物を取りに行くような生活から始まり、少しずつ、家の中では普通に過ごせるようになりました。

中学3年生になり、元気を取り戻すにつれ、勉強の遅れや高校受験のことが心配になってきました。

そして、焦り始めた私を母が「学校に行ってみようか」「途中で帰ってもいいから」と、毎日学校に連れて行ってくれたのです。

保健室登校のようなかたちでぽつぽつと学校に顔を出せるようになった私は、なんとか中学を卒業し、成績と出席日数を照らし合わせて入学可能な高校に進学しました。

しかし、その高校は雰囲気が悪く、人間関係もドロドロとしていて、とても落ち着いて勉強ができるような場所ではなかったのです。夏休みを機に再び不登校となり、結局1年生の終わりに中退してしまいました。

高校を辞め、もう自分には道はないと思い、この先の人生をどう進んでいいのかがわからなくなりました。

みんなが進むレールから外れてしまったことに怯えながら、高校卒業の資格を取るために塾に通ってみたり、レストランでアルバイトをしてみたりと、手探りの日々を過ごしましたが、進むべき道が開けることはなかったのです。

 

母が寄り添ってくれた日々

うまく「復活」できない私に寄り添ってくれたのは、母でした。

先が見えない日々のなか、元気をもらっていたAKB48やHKT48などのアイドルグループのことを母はいつの間にか調べ、イベントに私を誘い、同行してくれるようになったのです。

不登校2

華やかな舞台の上で、真剣勝負とばかりに歌って踊るアイドルを見ていると、だんだんと気持ちが前向きになり、笑顔になれました。一緒になってイベントを楽しみ、他のファンの方とも進んで交流する母は、とても心強い存在でした。

メンバー一人ひとりの顔と名前を一生懸命に覚え、コンサートでは私よりもはしゃぎながら応援していた母。会場に行くたびに会うファンの方たちに「お母さん」と呼ばれるほど打ち解けていたその原点は、私を元気にしよう、同じ時間を共有しようという思いだったのだと思います。

あるときなど、「東京に行ってみたい」と言い出した私を連れて、本当に東京に行ってくれたこともあります。交通費もかかるし難しいだろうと思っていたのに、母はスムーズに予定を組み、すぐに東京行きが実現してしまったのです。

ちょうどそのころ、ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ(HSU)※の建設予定地の見学会も開催されていたため、母と千葉県にある広大な敷地を歩くことになりました。

まだ何もない、土がむき出しのままの地面。ここにいくつもの建物が立ち、たくさんの学生が集うのだと思うと、不思議な感慨がありました。

私が生まれる前に信者になっていた両親のもとで、幼いころから幸福の科学の教えに触れてはいたものの、そのときはHSUと自分とを素直に結びつけて考えることはできませんでした。幸福の科学では、努力や勤勉さがとても大切にされています。学校にも行かず、ずっと引きこもっていた自分には、とても手の届かない場所だと思っていたのです。

そんな私に転機が訪れたのは、その後、開学したHSUの学園祭に行ったときのことでした。縁あってHSU祭を手伝うことになった母に連れられて、初めて足を踏み入れたHSUは何もかもが真新しく、私は興味津々で学内を見て回りました。

そして、ある模擬店に入ったときのこと。接客をしてくれた学生の方が、とても感じよくお話をしてくださいました。そのやさしさと、人を惹きつける魅力に驚くとともに、HSUに対する憧れが湧いてきたのです。

「私もここで学びたい……!」

 

※ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ
Happy Science University(HSU)。幸福の科学が運営する高等宗教研究機関。

 

HSUに合格! わずか2週間で迎えた入学式

自宅に戻り、HSUについて調べると、タイミングよく数日後に説明会が開催され、試験が受けられることがわかりました。

面接をしていただき、すぐに試験を受けることになりました。

おかしな話ですが、「試験を受けられますよ」と聞いた瞬間、私は「自分は必ずHSUに行ける」と確信してしまったのです。いつの間にか、自分の居場所はそこだと思い定めていたのかもしれません。

そして結果は合格。「学びたい!」という思いで塾に通ったり、自宅で勉強したりしてはいたものの、私が合格したことに、両親もたいへん驚き、そして喜んでくれました。

合格通知をいただいたのは、入学式の2週間前。本当に、さまざまなタイミングが重なり、運命が回りに回った日々だったと思います。翌週には実家を離れて千葉県にある寮に住み始めた私は、「もう一度スタートが切れる」といううれしさでいっぱいでした。

しかし、いざ新生活が始まると、途端に怖気づいてしまいました。女子のグループを見ると、中学生のころを思い出して恐怖心が湧いてくるのです。同世代の学生たちに囲まれると、クラスで孤立していたころを思い出し、自分以外の人が仲の良い集団に見えて不安でたまらなくなりました。

皆がいる場所に行くことができず、寮の部屋に引きこもり、毎晩泣きながら母に電話をしました。5日間の入学前のオリエンテーションには、結局最終日の1時間だけしか参加できなかったのです。

そんな私に、HSUの人たちはとても温かく接してくれました。オリエンテーションに参加したときに出会った先輩がとてもやさしく接してくださり、歓迎会では同級生が声を掛けてくれ、その後、「そのままのあなたでいいと思うよ」と書かれた手紙を渡してくれたのです。

食事のときは寮のブロック長が食堂で一緒に食べてくれました。同郷の先輩や同級生たちも声をかけてくれ、友人の輪が広がるにつれて、不安と恐怖でいっぱいだった心が少しずつほぐれていきました。

不登校3

そして、いよいよ授業が始まりました。まだ行きたくない気持ちはありましたが、「ここで行かなきゃ、行けなくなる」と思い、毎朝行われている「朝作務」には必ず参加することに決めたのです。毎朝、作務に取り組んでいるうちに学内の雰囲気にも慣れ、友達も増えていきました。

授業についていけるか不安でしたが、「基礎教学」や「創立者の精神を学ぶ」などの授業はどれもわかりやすく、内容も興味深かったため、久しぶりに「勉強って楽しい!」という実感を得ることができました。専門科目である経営系の授業は難しく感じることもありましたが、熱心に教えてくれる先生方のおかげで、「頑張ってついていこう」と思えたのです。

 

将来は芸能関係の仕事で人を笑顔にしたい

5月の連休に実家に帰ると、母がうれしそうに「しっかりした顔になったね」と言ってくれました。入学からわずか1カ月なのに、HSUは私を大きく変えてくれたのです。

HSUでは、専門性の高い実学はもちろんですが、幸福の科学の教えについてもたくさん学んでいます。実家で引きこもっていたときよりも積極的に、HSU創立者でもある大川隆法総裁の書籍を読むようになりましたし、そうした「教学」(教えを学ぶこと)をしていると、両親の言葉を思い出すことがよくあります。

「勉強の遅れはいつでも取り戻すことができる。まずは元気になろうね」

「元気でご飯を食べてくれたら、もうそれでいいよ」

「学校に行けないからって、ダメなわけじゃない。明子は絶対に大丈夫」

「あなたも仏の子だから。仏は必ず見ているからね」

「人はどこからでもスタートできるんだよ」

両親が折にふれてかけてくれた、こんなメッセージの本当の意味がわかるようになったのは、HSUで学び始めてからです。

人は誰しも仏の子であり、仏と同じ性質をその身に宿しています。だから人は皆そのままで尊いのであり、この「仏とつながっている」という自覚が本当の自己信頼になる。その自己信頼さえあれば、人はどこからでも人生を再スタートできるし、「絶対に大丈夫」なのです。

不登校アイキャッチ

不登校のときも引きこもりのときも、両親がかけてくれた言葉のもとには大川隆法総裁の教えがあり、それが私の「芯」になっています。今、そのことをとても感謝しています。

将来の夢もできました。私がアイドルから元気をもらったように、将来は芸能関係の仕事に就いて、アイドルなどを通じて人を笑顔にするお手伝いがしたいと思っています。

幸福の科学にも芸能事務所がありますし、今後は大川総裁の教えを学ぶタレントの方もどんどん増えていくと思います。世界に夢や希望を与える芸能という仕事に、どんなかたちであれ関わることができるように、経営成功学部での勉強に励んでいきます。

先輩や友人、先生方は本当に素晴らしい人たちばかりです。過去の経験を思えば、今この場所で学んでいるのは奇跡のように感じます。大好きなHSUと、支えてくれた両親や家族をはじめ、すべての方々への感謝とともに、私は今、成長できる喜びを全身全霊で感じています。

 
(「Are You Happy?」2017年11月号)

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