信仰心篤きウイグル人一家の、命をなげうった訴え
2013年10月28日、中国の天安門前の歩道に自動車が突入し、炎上。5人が死亡、38人が重軽傷を負いました。運転していたのはウイグル人のオスマン・ハセンさんという30代の男性で、彼の70代の母親と、妊娠4カ月の妻が同乗していました。
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車両が突入し、黒煙が上がる中、天安門一帯を封鎖する中国警察。
1年前の同日、中国政府がハセンさん一家が住んでいた村のモスクの内装と空調を撤去するよう一方的に要求し、村人と衝突しました。
モスクはイスラム教徒にとって大切なものです。
村の共産党幹部が県に報告し、武装警察が丸腰の村人を包囲。
一触即発の事態になり、「このままでは“暴動”として鎮圧され、犠牲者がたくさん出てしまう」と、ハセンさんが村人の前に出て、「私たちに勝ち目はありません。ここは要求を呑みましょう。でも、私たちにできることをしましょう。アッラーはそのための勇気を私たちに与えてくださっています」と演説。その場を収めました。
彼のお母さんは、息子の勇気に感動し、群衆から出て息子を抱いて泣いたそうです。
そして村人たちは自らモスクの内装を取り払い、美しい絨毯を剥がしました。
そこへ政府のブルドーザーがやってきて、すべてを破壊してしまいます。
政府の言い分は、モスクの内装や空調の整備などは、必ず許可を取らないといけないが、それが守られなかったということ。
しかし申請しても許可が下りるわけもなく、信仰心の篤い村人たちは5年前から資金を集め、自分たちの礼拝するモスクを美しくしようと内装や空調工事を行ったのです。
村人を危険から守ったハセンさんですが、その心には中国政府に対する怒りの炎が燃え盛っていました。
そして翌年の同じ日、自分の子を妊娠している妻と、老いた母親を連れて天安門前に突っ込み、信仰の自由を侵す中国共産党への抗議を行ったのです。妻と母を道連れにしたのは、遺しても中国政府に地獄のような拷問を受けるとわかっていたからでしょう。
中国政府は即座にウイグル族によるテロ行為と世界に発信しましたが、ハセンさんが本気でテロ行為を行うなら、天安門広場にいる何千人もの観光客の中に車を突っ込み何百人もの死者を出すこともできました。
でも彼はそうしなかった。
むしろ極限状態のなかでもクラクションを鳴らし続け、できるだけ人を巻き込まないように気遣っていたのです。
ハセンさんはウイグルにおける信教の自由のはく奪を国際社会に訴えるために、命を捧げました。
世界には正義があると信じて行動に移した彼の魂に報いるためにも、今こそ世界の人々が行動に移すときではないでしょうか。
(「ARE YOU HAPPY?」2014年4月号)