今月も大川隆法総裁の著書『じょうずな個性の伸ばし方』を、奥田先生と一緒に学んでいきます。
体罰は、「痛い」のですよ
みなさんにいくつか質問をします。よく考えて答えてみてください。
①あなたは、人から叩かれたことがありますか? 痛かったですか?
②叩かれたことがない人は、叩かれた人の「体の痛み」と「心の痛み」を想像してみてください。
③もしもあなたが、親から日常的に体罰を受けて育ったら、あなたは親にどのような感情を抱くでしょうか?
④あなたは、わが子を叩けますか?
⑤あなたは、わが子以外の他人を叩けますか?
子どもは、ある程度大きくなると、相手の体を傷つけるようなケンカをしなくなります。なぜでしょう。
法律で罰せられるからでしょうか。いいえ、自分がされて「痛い」と感じることは、人も同じように「痛い」と感じることを知るからです。そして、人に「痛み」や「苦しみ」を与えると、自分の良心が痛み苦しむようになるからです。だから人は、簡単に人に手をあげることができなくなります。
叩かないとわからない?
しかし、「うちの子は叩かないとわからない」と言う親御さんがいます。本当でしょうか?
いいえ、それは親の勝手な思い込みです。お子さんはきっと、話せばわかります。ただ、「どう言って聞かせればいいのか」を、親が知らないために、体罰という下手なしつけに走っているのでしょう。
あるいは、本書138ページにあるように、親が自分自身にぶつけるべき不満感や怒り、やるせなさを子どもにぶつけているのかもしれません。
でも、相手が無抵抗の小さな存在だからといって、簡単に叩いたり傷つけたりしてはいけません。
「幼い子が親から体罰を頻繁に加えられていると、その子は親にやり返したくてもやり返せない屈辱感のようなものを味わっています」(136ページ)
その親への復讐心が、大きくなって非行などの原因にもなるのです。
拳を出す前に、まず、言葉でちゃんと「してもよいこと」と「してはいけないこと」を教えてあげてください。言葉で言い聞かせるしつけは、親の側に忍耐と知恵がいります。でもそのように育てられた子どもは、腕力ではなく、言葉の力を信じる大人に育ちます。
伝家の宝刀を抜くのは、一生に一度
もしも子育てで体罰が肯定される場面があるとしたら、それは、殴ってでもわが子を止めなければならないときでしょう。悪を犯したわが子、あるいは悪に走っていこうとするわが子を、親として、殴ってでも目覚めさせなければならない瞬間が、一生に一度はあるかもしれません。
そのときのために、拳の愛は、大事にとっておきましょう。
(2012年7月号「子育て110番」)
奥田敬子
早稲田大学第一文学部哲学科卒業。現在、幼児教室エンゼルプランVで1~6歳の幼児を指導。毎クラス15分間の親向け「天使をはぐくむ子育て教室」が好評。一男一女の母。