「悲しみすぎないで」妻の最期の言葉を守って――。〔妻との死別〕

夫婦で幸福の科学の活動をしていたSさん。Sさんは2017年に妻を享年60歳で亡くしました。

妻の最期の言葉

「家族仲良く、孫の面倒も見るように。それから、あんまり悲しみすぎないで」――。
病室に泊まり込んだ私に、妻はゆっくりとそう言いました。思えば、あのときはもう覚悟していたんでしょう。

37年連れ添った妻が亡くなったのは、昨年の春のことです。10年前に手術したがんがリンパに転移。医師からは、「普通に元気に暮らしているのが奇跡」と言われました。でも、私はどこかピンと来ませんでした。体のむくみさえ取れれば、治るんじゃないかという思いがあったんです。
夫婦ともども、あの世があることを確信していたので、死ぬことが怖いということはありませんでした。彼女自身、お見舞いに来てくださった方や看護師さんにもそう言って笑っていましたし、亡くなる2週間前には自分の葬儀の打ち合わせをして、返礼の品も自分で選んだくらいです。親戚を呼んでお別れの挨拶をし、最期は痛み止めのモルヒネで眠って、そのまま静かに旅立っていきました。

妻が亡くなってすぐは、寝つけない日が続きました。夜は妻に用事を頼まれることが多かったので、数時間おきに目が覚めるのです。「またいつか天上界で会える」と思っても、やはり寂しさが募り、お風呂に入っているときに、ふと涙が流れるようなこともありました。ずっと隣にいた人が、今はもういない――突然、その現実を思い出してしまうんです。

しばらくすると、地域のボランティア活動の仕事が忙しくなってきました。目の前にやらなければいけないことが山積みで、逆にそれがよかったのかもしれません。同じ敷地内に住む娘夫婦や孫との触れ合いにも慰められ、悲しみは次第に和らいでいきました。
そんなとき、妻と親しくしていた友人から、「奥さんが、盛大なパーティーをしている夢を見たわ。きっと、あの世で〝お帰りなさい〞と喜ばれているのよ」と言われたんです。
もちろん、それを立証する手立てなどありません。でも、生前、フラワーアレンジメントやパティシエの資格を取るなど、多趣味で社交的だった彼女らしい話に、胸が温かくなりました。何より、友人たちとの楽しい思い出話に、「一人ではない」と心励まされる思いがしたのです。しかも、ちょうどそのころ私も、光り輝く妻の姿を夢に見たんです。「彼女はもう、あの世で元気に暮らしているんだなあ」と、なんだかホッとしました。 

 
あの世から見たら〝入学式〟

妻は、いつでも誰かの助けになりたいと、一生懸命考えているような人でした。かたくなな私が、うっかり他人に厳しい言葉を浴びせて険悪な雰囲気になっても、彼女が仲裁に入ってくれると万事丸く収まるのです。ふざけてよく、「神様、奥様、指導霊様!」と拝んでいました(笑)。
そんな彼女も、新婚当初はよく泣いていました。私の母と弟と祖父母が一緒に住む家に嫁に来て、習慣の違いなどから、戸惑いが大きかったようです。泣きながら訴えるのを、私がもらい泣きして聞いていたこともあります。最期に「悲しみすぎないで」と言ったのは、そんな思い出があったからかもしれません。

ある日、ふと思い立って妻との写真を整理しました。新婚当時、子育てに奮闘していたころ、ハワイ旅行や還暦祝いを兼ねた四国への旅行――。夫婦の歴史を眺めながら、気に入ったものは部屋に飾っていきました。私はてっきり自分が先に逝くとばかり思っていたので、悲しまずに写真を見られるようになるまでに、半年かかりました。

「生老病死」は、誰にでもやってくるものですが、私にとって〝伴侶の死〞は、それが実感となって迫ってくる出来事でした。でもそれは避けられないものですし、自分だけに振りかかった不幸でもありません。60
歳で亡くなったので、まだ若かったのに、と言われることもありますが、70歳でも80歳でも、やはり別れの悲しみはあるでしょう。けれど、還っていく世界から見れば、〝あの世への入学式〞。「今世はここまでだったか」と受け止めています。
今でも時折、妻の写真に手を合わせて語りかけます。伝える言葉はいつも、「ありがとう」。それから、「お手数をおかけしますけれども、私が逝くときには、ぜひ迎えに来てください」と(笑)。
来世巡り会えたら、苦労をかけた分の埋め合わせをしたい。それを楽しみにしていてほしいと思っています。

(「Are You Happy?」2018年8月号)

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