「夫は男らしく、妻は女らしくあるほうが夫婦はうまくいきます」石川真理子さん・作家

『女子の武士道』『乙女の心得』などの著書から現代女性が知っておきたい日本女性のたしなみや心構えを伝える作家の石川真理子さんに、妻としての心得をうかがいました。

 

祖母の生き方は女子の武士道そのもの

私は武家の娘として厳格なしつけを受けた祖母と12歳まで暮らしました。祖母から教わったことの数々は、まさに「女子の武士道」「婦道」といえるものでした。

祖母の時代と比べると、現代では「嫁ぐ」「妻になる」ということへの決心や覚悟がまったく違うのではないかと感じます。あくまで想像ですが、当時、嫁ぐということはすべてを捧げるくらいの覚悟だったと思うのです。

戦後は男女平等思想のもと、戦前の教育が女性を虐げていたと言われ、修身教育が廃止されました。でも修身は、武家の女性教育を引き継ぐ形で明治時代から始まったものです。修身が立派な日本の女性をつくったのは間違いありません。

修身教育がなくなった結果、「女性とはこうあるべき」というお手本や感覚が日本の女性から失われてしまいました。私も戦後世代ですが、祖母からしつけを受ける中で、「将来はいい奥さん、いいお母さんになるのが私の役割」という思いが自然と芽生えました。祖母の流儀――戦前の女子教育、もっと言えば、武家の娘のしつけの欠片をいただいたと思っています。

 

男らしく・女らしくが本当の男女平等

来年から道徳が教科になるそうですが、道徳教育でも、「男の子・女の子はそれぞれどうあるべきか」を教えるべきです。陰陽道では男性は「陽」、女性は「陰」とされていますし、男女が分かれているのは大宇宙の理であり、法則だと思います。それぞれの役割が果たされなければ、調和もありえません。男性は男らしく、女性は女らしくある。それができて初めて、本当の男女平等や男女同権といえるのではないでしょうか。夫婦も、夫は夫らしく、妻は妻らしくあることで対等になれます。お互いに協力し合うことで進歩し、発展していくわけですから。

「男らしく、女らしく」と言うと、「セクハラだ」などという声もありますが、言葉尻ばかりを捉え、真意をくみ取らないでいると、本質を見失ってしまいます。セクハラと決めつけることで、むしろ皆、生きづらさを感じてしまうのではないでしょうか。今、ジェンダー思想が進んでいるとされますが、それで昔よりも女性が幸せになったのかは疑問です。もう少し冷静に、本来の男女のあり方を考えてみてはいかがでしょうか。

 

戦前は今よりも守られていた女性たち

『 古事記(こじき)』などに記されている「国産み」の神話でも、女性である伊邪那美(イザナミ)から求婚したら、失敗して水蛭子(ヒルコ)が生まれてしまったので、別天津神(ことあまつかみ)に相談したところ男性である伊邪那ナ岐(イザナギ)からプロポーズするように言われた、とあります。これは男女における本質をついていると思うんですね。

20年余り武士道を学び、深めてきましたが、やはり戦前までは、武士道精神のもと、本当の意味での男女同権だったと感じます。女性は風呂敷包みを持ち、男性の二、三歩後ろを歩くという情景も、現代では「昔の男は女に荷物を持たせ、いばりくさって前を歩いていた」なんて男尊女卑の象徴とされますが、実際は違います。敵が向かい側から来たときに、男性は女性を守れるように、少し前を歩いているのです。二、三歩というのは刀の間合いなんですね。そして風呂敷包みも、後ろや横から襲われたとき、あるいは主人が刀を抜く時間を稼ぐ際に敵にぶつけるために、女性が持っています。すべては女性を守るためだったのです。

武士道には「仁、義、礼、智、信、忠、考、悌」の「 八徳(はっとく)」と呼ばれるものがありますが、特に
大事とされていたのは、「弱い者に対して思いやりを持ちなさい」という意味の「悌」の徳です。武士道では、強い者が弱い者に強く出るのはとても卑怯なことであり、武士がいちばん恐れるのは、卑怯者と言われることで
した。ましてや女性に対して強く出るのは男の風上にも置けないわけで、恥なんですね。

 

戦前の日本の妻は〝利口(りこう)な独裁者”

昔の男性は、表面的には偉そうに見えることはあったと思います。でも、"奥さん"という名前の通り、お財布を握り、奥向きを治めていたのは女性なわけです。奥が乱れたら、いくら表を治めようとしても治まらないですよね。だから旦那さんは、奥さんを大切にしなかったら、大変な目に遭うわけです(笑)。これは今も昔も変わらないのではないでしょうか。 

「戦前は男尊女卑だった」というイメージは今も根強いですし、私もそう思っていました。でも、祖父は典型的な明治男でしたが、親戚一同が集まるたびに、「お祖母さんは偉かった」という話に落ち着くのです。気になって文献を調べてみたところ、外国人が遺のこしたものなどに、「日本の妻は家庭においてはたいへん利口な独裁者で、旦那さんは自分が手綱を握っていると信じ込まされている」「その実、奥さんの思い通りに動かされているのを本人はちっとも気づいていない」などという見解がたくさん出てきました。決まって最後は「日本の女性はなんて立派なんだ」と締められていて、「私たちが日本の女性のあり方を学べたら、世の中を変えることができるだろう」という記録すらあるのです。

日本の妻たちは夫を上手に立てながら、実権を握っていたんですね。「女性は控え目であることがよい」という考え方も、それが美しさであると同時に、その方が男性は頑張れます。手綱を握っていると信じて男らしさを発揮し、もうひと働きもふた働きもしてくれる(笑)。西洋の考え方が入り、日本の古き良き男女のあり方が男尊女卑だと言われるようになりましたが、女性が男性に貶(おとしめ)られて不自由をしていたら、江戸時代は260年も続かなかったと思うんです。日本の女性は強いですから、黙ってはいないでしょう。実際に武家の女性は性格がある意味できつく、だからこそ"奥方"に徹することができていたといえます。本当の強さを持っていたからこそ、一歩も二歩も引くことができたんですね。

(「Are You Happy?」2018年1月号より一部掲載)

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