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介護と孫育てが教えてくれた、静寂な時間の大切さ

70歳の今こそ、
神様からいただいている時間を
人のために活かしたい

両親の介護と、2歳の孫の“孫育て”。
一度に3人の面倒を見ることになった中谷晴美さんは、還暦を前に、何度か倒れるほどの忙しさを経験します。試練のなかでも、信仰生活を基にすることで物事がスムーズに運んだという、中谷さんのストーリーをひもときます。

 

優先順位をつけて必要なことからこなす日々

「別れることになった」

 14年前のお正月のこと。息子から、思いもよらない離婚報告を告げられました。

「ええ!? ふたりでちゃんと話し合ったの?」

 子供も生まれたばかりなのに……。しかし息子夫婦の離婚の決意は固く、元お嫁さんは子育てができない状況ということで、2歳の孫の親権は息子が持つことに決まりました。

「……分かった。帰っていらっしゃい」

 すでに自分の両親を介護していたわが家に、息子と孫が加わったことで、目が回るような忙しい日々が始まったのです。

 朝はまず、3人のおむつ替えからスタートします。いちばん小さくて我慢がきかない孫のおむつを替えたら、お腹が空いたと騒ぐ前に何か食べさせ、その隙に母と父のおむつ替えを済ませます。そして慌ただしく支度をして孫を保育園に連れて行き、戻ったらすぐに両親の朝ごはんの準備をします。

 胃ろうの手術をしている母には点滴をつなげ、父にはうどんや野菜を細かく刻み、ひと匙ずつ食べさせるのです。朝食が終わったら、掃除や洗濯などの家事を大急ぎでこなします。

 母は寝たきりになってから、元々の躁鬱に加えて痴呆の症状も進み、時折叫んだり、暴れたりします。母の相手をし、父の身体の向きを変え、顔や身体を拭き、家事をし……そうしているうちに、あっという間に孫を迎えに行く時間になります。

 窓の外を見る暇もなければ、自分が食事をしたかさえも覚えていないぐらいの日々の中で、とにかく「必要なこと」を優先順位をつけてやるようになりました。例えば、3人のおむつ替えや食事を最優先にして、洗濯などのいつでもできる家事は比較的時間が空く夜にやっていました。家族が揃う夕食も簡単なものを並べさせてもらうなど、手を抜けるところは少し抜き、少しでも余裕をつくろうと工夫しました。

 そして私には、どんなに疲れていても省略できないことがありました。

「『主への祈り』――」

 それはお祈りの時間です。クリスチャンだった母の影響で、小さいころから神様への信仰が自然と身体に染みついていた私は、大人になって入信した幸福の科学のお祈りだけは欠かさないと決めていたのです。

 

いつまでこんな日々が?

 孫が来たころ、喜ぶようにとハンバーグやお寿司を用意しましたが、なぜか口に含んでも吐き出してしまいます。

「どうしたのかしら……」

 息子に話を聞くと、どうやら孫の母親が離乳食をあまり作れず、インスタントラーメンや缶詰を与えており、そのためほとんどの食べ物をかんで飲み込むことができなかったのです。

 孫が不憫でしたが、泣いていても仕方がありません。「必ずおばあちゃんが何でも食べられるようにするからね」と決意し、柔らかく煮たラーメンに入れる野菜を増やすところから始め、少しずつ食べられるものを増やしていきました。

 孫育て、介護、そして主婦業の並立に、「いつまでこんな日々が続くのかしら」と暗澹たる気持ちになるときもありました。

 あるときは母の点滴が外れてびしょ濡れになり、下着から寝具まですべて替えている最中に、お腹が空いた孫が大泣きし、父も食事を待っていて、部屋は散らかり放題……。現実の厳しさに途方に暮れ、泣きながらおむつを替えていました。

 母の認知症もどんどんひどくなり、食べ終わった直後に「食事はないのか」と言い出します。

「今食べましたよ。ここにお皿があるでしょう?」

 そう目の前の食器を指しても、「これは昨日のだ」と言い張って怒るのです。

「お前はひどい女だ!」

 私が娘だと分からなくなり、言葉遣いまで変わる母。私に信仰の素晴らしさを伝え、一生懸命に育ててくれた大好きな母のそんな姿は、とてもつらいものでした。それでも、母を施設に預けることだけはしたくなかったのです。なぜなら、コミュニケーションが取れなくても、母の愛が伝わってくるのです。

 ある日、興奮した母が暴れ出し、私を叩こうとしました。ろくに睡眠も取れず、満足にお祈りもできず、ボロボロの精神状態だった私は、思わず手をあげてしまったのです。

「なんで分かんないの!」

 叩いた瞬間、ハッと我に返りました。母から、申し訳ないという思いと、深い愛情が伝わってきたのです。

(晴美ちゃん、ごめんね。こんなにしてもらって申し訳ないね。叩かれても当然だよね。いつもお世話をしてくれてありがとう、ありがとう――)

「お母さん、ごめんなさい」

 何も分からないように見えても、母は全部分かっている。溢れんばかりの愛に包まれながら、母を抱きしめて泣きました。

 

天国に還る日までは私が頑張ろう

 母の愛に気づけたのは、幸福の科学の教えを学んでいたからです。「親さえいなければ、こんなに苦しまないで済むのに」と一瞬思ったこともありましたが、その度に「そうじゃない!」と強く打ち消す思いが湧いてくるのです。

 幸福の科学では、人間の本質は肉体ではなく魂であり、肉体が病気や不自由になっても、魂は健全であると教えられています。今は痴呆で寝たきりでも、母はすべて分かっていて、私に変わらない愛情を抱いてくれているのです。そして、人間は死んでも終わりではなく、あの世に還り、また生まれ変わってきます。この教えがあったから、どんなに大変でも「天国に還るまでは私が頑張ろう」と、前向きになることができたのです。

 

「人生は一冊の問題集」ならこの子にも使命がある

 孫の存在にも救われました。幸福の科学では、人生は一冊の問題集であり、人は自分が生まれる環境を選んで生まれてくると教えられています。この大変な環境を選んで生まれてきたこの子は、大きな使命がある強い子だという確信がありました。

 だからこそ孫育ても全力でした。どんなに忙しくても学校のイベントには必ず足を運んでママ友やババ友を作り、お母さんたちに交じって運動会や子供会の行事にも積極的に参加しました。推薦され、PTAの役員を引き受けたこともあります。

 持って生まれた明るさや友達に恵まれ、孫はお母さんがいないという複雑な環境で育ちながらも、「なんでこんなに素直なんですか?」と先生方が首を傾げるぐらい元気に育ち、いつもクラスのムードメーカーでした。すくすくと成長する姿に、どれだけ勇気をもらったか分かりません。今は全寮制の学校で、勉強や部活動に一生懸命取り組んでいます。

 

欠かせないお祈りの時間

 介護で心を追い込まれた方による悲惨な事件もありますが、私も信仰がなければ、自分が死んでいたか、親を殺していたかもしれません。つらい時期を乗り越え、孫を育て上げられたのは、信仰があってこそです。

 不思議なことに、お祈りがしっかりとでき、両親や孫に思いをかけられていると、すべてがスムーズにいくのです。反対に、バタバタしてお祈りができず、精神的に不安定になると、母が熱を出し、孫が風邪をひくというような悪循環が起こりました。自分を落ち着かせ、心を神様に向ける静かな時間を取らないと、自分の感情が剥き出しになり、その影響が家族に現象として現れてしまうのです。

(自我力はやめよう。神仏がいつも見守ってくださっていることに、感謝の心を忘れないようにしよう)

 信仰を心の真ん中に置き、すべてお任せする〝全托”の思いを持つことで、心が満たされていきました。家族が寝静まった深夜、心を静め、幸福の科学の経文を唱えます。途中で寝てしまうことや、横になりながら唱えることもありましたが、それでも「真理の言葉『正心法語』」や「主への祈り」は、たとえ最初の一節だけでも唱えるようにしていました。

 私の信仰心が深まるにつれて、母も穏やかでいる時間が長くなりました。本好きの母は、精神状態がいいときには、大川隆法総裁の書籍をよく手に取っていたのです。

「晴美ちゃん、あの世に還るって、隣のお部屋に行くようなものなんですって」
「ああ、お母さん、そうなのね」

 大川総裁の書籍を胸に抱き、うれしそうに話す母。私が母が亡くなった後のことを心配しているのが分かったのでしょう。「この教えを知っているから大丈夫よ」。そう伝えたかったのだと思います。

 

他の人のために時間を使う幸せ

 両親は少しずつ衰えていき、13年前に父が、7年前に母が亡くなりました。母が亡くなる少し前、私のいちばんの喜びは、朝起きたらすぐに母の顔を見ることでした。私の顔があると、目を覚ました瞬間ににっこりと笑うのです。

(ああ、母は絶対に大丈夫だ。天国に還れるはず)

 最愛の母との別れは寂しいものでしたが、これからは介護で得た智慧や気づきを他の人の幸福のために使おうと決意しました。今は地域の方など身近で介護に取り組んでいる方に、「困ったら、夜中でもいいから電話をちょうだいね」とお伝えしています。つらい思いをされている方に、私の経験を役立てていただきたいのです。

 そして数年前からは、地域をもっと活性化させたいという思いから、盆踊りグループを立ち上げて活動しています。

 最近は高齢化でお祭りの踊り手がいなくて困っている地域が多く、お隣の町会の自治会長さんのご紹介であちこちの町会に呼んでいただき、踊りを教えたり、お祭りで一緒に踊ったりしています。数年ぶりに盆踊りの“輪”ができ、「こんなに盛り上がったのは久しぶりです」と喜んでいただけるのを本当にうれしく感じています。こうしてお声掛けをいただけるのも、介護や孫育てで忙しかったころから、町内の役員などを務めていたからです。当時は大変でしたが、今につながっていることに、「無理してでもやっていてよかった」と心から思います。

 70歳になった今、「神様からいただいた人生を自分だけのものにしてはもったいない」と強く感じています。

 介護と孫育ては、渦中にいたころは本当に苦しいものでしたが、得たものは大きく、他の人のために自分の時間を使えた、限りない喜びのときでもありました。これからも誰かのため、他の方の幸せのために精いっぱい時間を使っていきたいです。

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