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掌の記憶〔子育て110番〕

裏切れないもの

もう何十年も昔のことになりますが、思春期の頃に一度だけ、不良になろうとしたことがあります。

繁盛していた家業が苦しくなり、両親は資金繰りに追われるようになって、家の中から団欒の時間が消えていきました。仲の良かった友だちとは別々の学校になり、成績もだんだん下がり、優等生でいたかったけれど、いられなくなりました。

一晩中眠らずに思い詰めた私は、明け方になり、それまでの自分を全部ぶち壊したくなって、「よし、明日から不良になろう!」と布団の中で決意しました。未熟な子供の愚かな決意でしたが、もうそれしかない、そんな気持ちに追い込まれていました。

その時です。

ぽん…ぽん…ぽん…ぽん…。

一つの記憶が胸によみがえりました。母が、幼い私を寝かしつけようと、おなかをぽん、ぽんと優しいリズムでたたいてくれた記憶です。すごく気持ち良くて、いつまでもそうしていてほしかった。眠ってしまうのが惜しくて、なんとか起きていようと頑張っていた、幼い日の記憶です。

「あの愛を、裏切れない」。泣きながらそう思った私は、一睡もしないまま、その朝、普段通り登校しました。

 

理由のない愛

家業が忙しかったので、母の手伝いをした記憶はあっても、一緒に遊んだ時間はほとんどありません。本はたくさん買ってくれたけれど、おもちゃはめったに買ってはくれませんでした。それでも、この人に愛されている、という実感がありました。それはおそらく、母の眼差しと、やさしい掌(てのひら)から伝わってくる愛でした。

母は、私がいい子だから、愛してくれたのではありません。成績が良いから、愛してくれたのでもありません。他のきょうだいと比べて多めに愛してくれたということもありません。ただ、バラの花をバラ、ヒマワリをヒマワリと見るように、私を私として見つめてくれました。

親を困らせたこともあったし、悪さをしたこともあったし、反抗したこともありました。だから厳しく叱られたこともあったけれど、私の魂が善であることを疑われたことは一度もありませんでした。それはとてもとても幸福なことだったのだと、子を持つ親になってから気がつきました。

人は、自分を疑ったり、否定したり、卑(いや)しめたり、傷つけたりする相手を裏切ることはできるのかもしれません。しかし、理由のない愛、無償の愛を注いでくれる人を裏切ることはできないのだろうと思います。そういう愛を裏切ることは、神様と自分自身の良心を裏切るのと同じ行為だからです。

母の掌の記憶は、私の暴走する心を止めてくれました。まるで神様が「そっちは危険な崖だから、これ以上は行くな」と止めてくれるように、私を止めてくれました。

そんなふうに愛された記憶はない、そんな愛が欲しかったという方もいらっしゃるでしょう。不思議なことですが、望んでも得られなかった愛は、誰かに愛を与えたとき、天から降ってきます。どんなときも変わらない神様の愛が、あなたを癒(いや)し、あなたを包んでくれます。
そのことをどうか信じて、わが子に愛を注いでください。

(「Are You Happy?2018年10月号)

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奥田敬子 

早稲田大学第一文学部哲学科卒業。現在、幼児教室エンゼルプランVで1~6歳の幼児を指導。毎クラス15分間の親向け「天使をはぐくむ子育て教室」が好評。一男一女の母。

 

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