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持統天皇―日本を律令国家に導いた女性天皇

持統天皇(時代を創った女性たち)2

©Illustration by Shinichiro Hattori

 

夫と父の対立

 百人一首の歌でも有名な持統天皇(じとうてんのう)(鵜野讃良皇女・うののさららのひめみこ)は、645年に天智天皇(中大兄皇子)と遠智娘(おちのいらつめ)の間に生まれました。
 大化の改新の年でもある645年、中臣鎌足とともに活躍したのが持統天皇の父である中大兄皇子(当時)と、母方の祖父にあたる蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわまろ)でした。持統天皇は13歳で叔父の大海人皇子(おおあまのおうじ)に嫁ぎますが、父である天智天皇は持統天皇のほかに3人の娘も共に嫁がせます。662年、持統天皇は17歳で草壁皇子(くさかべのおうじ)を出産しました。
 しかし天智天皇が大海人皇子ではなく、自身の太子である大友皇子(おおとものおうじ)を太政大臣につけて後継ぎにする意思を見せ、父と夫が対立。大海人皇子は政戦を避けて672年に吉野に隠棲し、持統天皇は夫を支えるべく草壁皇子とともに同行します。妻のなかで、吉野まで同行したのは持統天皇だけだったと伝えられています。

 

皇后から天皇へ

 671年、天智天皇が病のため崩御。大友皇子が後を継いで政治の実権を握ります。翌年、大海人皇子は壬申の乱を起こし、古代最大の戦いが勃発。大友皇子の自決をもって乱は収束し、673年には大海人皇子が天武天皇として即位します。持統天皇は皇后の位を授かり、息子の草壁皇子は皇太子として次期天皇の座はほぼ確実となりました。やがて天武天皇は病気がちになり、草壁皇子と持統天皇に共同統治を命じます。
 686年、天武天皇は崩御。持統天皇はおよそ2年間、称制として政治を動かしますが、天皇の位につくはずの草壁皇子も、即位直前の689年に病死してしまいます。草壁皇子の息子、軽皇子(かるのみこ)もまだ7歳と幼いため、持統天皇は自らが天皇となることを決意しました。

 

男性顔負けの政治家として力を発揮

 即位後、持統天皇はまず藤原京の建設にとりかかります。藤原京は中国に倣い、碁盤の目のような配置の都城で、のちに平安京、平城京のモデルにもなりました。696年には軽皇子に皇位を譲りますが、まだ若い天皇を支えるべく、日本初の太上天皇(上皇)として政権をともに動かします。
 持統天皇は夫と息子が亡くなったため、仕方なく天皇の座についたのではなく、たいへん有能な政治家でした。即位前年には飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)の制定を行ったほか、天皇家中心の政治から、貴族や豪族を積極的に大臣に採用し、天皇を官僚が支えるという、官僚政治の元をつくります。採用された藤原不比等らは天武天皇より制定が命じられていた、大宝律令を持統天皇の指導のもと編纂。日本初の制度や法律を規定し、日本は法律に基づく律令国家への道を歩みはじめます。

 

日本の文化を発展させる

 さらに官人に武備・武芸を奨励し、日本初の戸籍を作成したほか、長い間途絶えていた遣唐使を復活。結果、大陸からさまざまな文化が伝えられ、それが後の天平文化につながってゆきます。女性らしい感性も発揮し、柿本人麻呂を宮廷詩人として宮中に置きました。人麻呂が詠んだ歌の数々は、当時を伝える貴重な資料であるばかりか、日本文化として受け継がれ、現在も親しまれています。

 

「愛国」という言葉

 持統天皇は、「愛国」という言葉を初めて使った日本人でもあります。661年、百済に出兵し、唐の捕虜となった大伴部博麻という兵士がいました。長安に送られた博麻は、同じく日本に帰れない4人の元遣唐使と出会い、「私は奴隷になってもかまわないから、優秀な彼らを日本に返してほしい」と訴えます。願いは聞き入れられ、4人は帰国。26年後、ようやく日本に戻れた博麻に、持統天皇は「朕嘉厥尊朝愛国 売己顕忠(朝廷を尊び、国を愛し、己を売ってまで真心を尽くしたことを感謝します)」という勅語を贈り、莫大な恩賞と水田4町を与え、孫の代まで税金を免除したといいます。「愛国」という言葉は、この勅語に初めて登場しました。持統天皇自身も、日本を深く愛していたからこその言葉といえるでしょう。
 701年に持統天皇は崩御しますが、自らが登用し育てた藤原不比等の娘が聖武天皇に嫁ぎ、光明皇后として夫婦で日本に仏教文化を花咲かせます。数少ない女性天皇のなかでも、男性顔負けの政治手腕と人材登用能力で律令国家を形成し、女性ならではの“育み力”で日本を繁栄に導いた持統天皇。彼女のような女性こそが、現代の日本が求める本当の政治家なのかもしれません。

(2012年12月号「時代を創った女性たち」)

鈴木真実哉 

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ経営成功学部ディーン

1954年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。同大学大学院経済学研究科修士課程と博士課程で応用経済学を専攻。玉川大学、法政大学講師、上武大学助教授、聖学院大学教授等を経て、2015年4月よりハッピー・サイエンス・ユニバーシティ 経営成功学部 ディーン。同学部プロフェッサー。著書に『理工系学生のための経済学入門』(文眞堂)他がある。


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