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マリア・テレジア―国民のために改革を続けたヨーロッパ近代化の母

 マリー・アントワネットの母親としても有名なマリア・テレジアは、1717年、ヨーロッパ最大王家、ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国皇帝、カール6世の長女として生まれました。19歳で当時非常に珍しかった恋愛結婚をし、生涯で16人の子どもを産み育てながら、神聖ローマ皇后、オーストリア大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王としてヨーロッパの近代化に大きく貢献しました。

 男兄弟がいなかったテレジアは、父・カール6世が定めた相続順位法により、女性ながら23歳でハプスブルグ家世襲領の相続が認められます。ところがプロシアなどの周辺諸国はこれを認めず、1740年、オーストリア継承戦争が勃発。テレジアは領土であるハンガリーの議会で、「どうか資金と軍隊を出してください」と演説をします。最初は「女に何ができる」と斜(しゃ)に構えていた議員たちも、テレジアの大演説に賛同し、すぐに兵隊と軍資金を準備します。そして奪われていた帝位を取り返し、テレジアの夫・ロートリンゲン公フランツが神聖ローマ皇帝となりました。

 戦闘にひとまず決着はついたものの、この戦争でオーストリアの弱さを痛感したテレジアは、改革に乗り出します。まずは富国強兵に着手し、傭兵制をやめて、身分に関係なく入隊でき、給料がもらえる皇帝の直属軍隊をつくりました。
 さらに、「強い国家には人材が必要」と、教育制度の改革に取り組みます。領土内にはあらゆる民族がおり、言語もさまざま。テレジアは領土全域に小学校を新設し、それぞれの言語に合わせた教科書を配りました。結果、国民には一定レベルの学力が身につき、知的水準が大幅に上昇します。そして資金調達のために、全国一律の徴税制度をひきました。適切な徴税ができるよう国勢調査も行い、国民全員に一定の税金を納めさせました。

 さらに宗教改革にも着手します。当時はイエズス会の宣教師らが、遺言と称して臨終間近の老人に財産をすべて寄付させるなどの行為が横行していました。テレジアは彼らを追い払い、国民が自由に教会に通い、適切な寄付ができ、信仰心を高められるようにしたのです。

 そのほか病院の建設など衛生制度の改善や、正式な裁判所による裁判を始めるなど、近代国家が現代も行う制度や仕組みを世界に先駆けて実施しました。
 さらに芸術や文化にも造詣(ぞうけい)が深く、「国民に美とは何かを伝えたい」と現在は世界遺産に登録されているウイーンのシェーンブルン宮殿を整備。塗り直された外壁は、テレジア・イエローと呼ばれています。
 テレジアは人材登用能力にも優れ、これはと思った人材は年齢や位、出身を問わず主要ポストに抜擢。彼らは多方面で活躍し、国家を支えていきました。

 テレジアのイノベーション力(りょく)の源は、国をよくし、国民に幸福になってほしい、という愛国心と、信仰心にあります。敬虔(けいけん)なカトリック教徒だったテレジアは、毎朝必ず祈祷(きとう)室で祈りを捧げることが日課でした。国を預かる責任者として、正しい判断ができるよう神と対話をしていたのです。娘たちが嫁ぐときにも、「あちらに行ってもよくお祈りをするのですよ。そうすれば心の平安が保てますからね」と諭(さと)していました。

 生涯にわたり改革を続けたテレジアを支えたのは、なんといっても最愛の夫と子どもたちの存在でしょう。初恋の人である夫を生涯愛し続けたテレジアは、夫亡き後は宝石もドレスも身につけず、亡くなるまでの15年間を喪服で過ごしました。
 私生活ではよき妻であり、母でもあったマリア・テレジアは、その功績を称えられ「ヨーロッパ近代化の母」と呼ばれています。

 
(2012年4月号「時代を創った女性たち」)

鈴木真実哉 

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ経営成功学部ディーン

1954年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。同大学大学院経済学研究科修士課程と博士課程で応用経済学を専攻。玉川大学、法政大学講師、上武大学助教授、聖学院大学教授等を経て、2015年4月よりハッピー・サイエンス・ユニバーシティ 経営成功学部 ディーン。同学部プロフェッサー。著書に『理工系学生のための経済学入門』(文眞堂)他がある。

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