web-201812-溝田さん

「乳がんでも、 女性として 輝いて生きていく。」KSHS代表 溝口綾子さん

乳がんで乳房の全摘・再建手術を経験し、KSHS(キチンと手術・ホンネで再建の会)を立ち上げて活動している溝口綾子さんに、ご自身の体験と活動への思いを聞いた。

乳がんの発見 そして乳房の全摘へ

 溝口さんの乳がんが分かったのは、2007年のことだった。
 「その4、5年前から胸にしこりを感じてはいましたが、多くの方と同じで、まさかそれががんだとは思っていませんでした。45歳の市の検診で、触診の先生が私の胸を診た瞬間、眉間にしわが寄ったんです。すぐに検査を受けた結果、がんだと発覚。結果を聞いた瞬間は膝が震え、『死んじゃうのかな』という思いが頭をよぎりました。
 外科の先生に『即手術しないとがんが広がる』と言われ、予約した手術の日は1週間後。その短い期間でセカンドオピニオンを取るため、知り合いにひたすら声をかけました。いろいろな方が病院を紹介してくれ、ほかに3人のお医者さんに診断してもらえたのですが、『すぐに手術』と『抗がん剤でがんを小さくしてから手術』という診断で2対2で分かれてしまい……。結局、もっとも信頼できると感じた先生のもとで、先に抗がん剤治療を受けることを決めました。
 がんを告知されると、病院や先生、治療方法を選ぶのが第一関門です。特に乳がんは自覚症状が出る前に発見できることが多いですから、体も動きますし、治療法をすべて自分で決めることになります。世間に溢れた情報から何をセレクトするのか、情報が多いことに悩むほどでした。
 6カ月の抗がん剤治療の結果、がんはだいぶ小さくなり、乳房を残す〝温存手術〟を受ける方向で進んでいたのですが、直前に『がんは小さくなったが、散らばりがある』という診断が出ました。温存手術を受けたとしても、残っている腫瘍も悪性だったら、また手術しなくてはいけません。温存か、全摘か―。悩んだ結果、『見た目じゃなくて、まずは命でしょ』という家族の言葉に背中を押され、乳房を全摘出することを決意しました

再建手術までの道のり

 全摘後、半年経てば再建手術が受けられると医師に言われ、乳房再建のための準備を始めた。
 「元々小さい胸がコンプレックスだったこともあり、『小さいし、なくても大丈夫かな』という思いが湧いてきました。というのも、当時はインプラントでの再建手術には保険がきかなかったんです。高いお金をかけて無理に再建しなくても……と悩んでいたある日、顔を洗って鏡を見た瞬間、パジャマから胸元が見えました。ふと客観的に自分の胸を見たとき、悲壮感を感じてしまったんです。
 改めて再建を決意して手術を受けた後、『胸が小さいのと、ないのは全然違う』と思いました。抗がん剤や手術、ホルモン剤など、乳がん治療は生きるために絶対に必要な治療です。乳房の再建はしなくても生きていくことはできますが、この先を女性として前向きに生きていくためには大切な治療ではないかと強く感じました。その思いで2009年にKSHSを立ち上げたんです」

明るく活動していきたい

 KSHSの主な活動としては、週に2回のおしゃべり会や、術後の体を鍛える筋トレや運動の会の開催がある。3年前からは、キャンサーギフトコレクションという乳がん患者がモデルになるファッションショーも行っているという。
 「がんの治療中、がんの患者会に行くことを勧められたときは、みんなで慰め合って泣いているような、暗いイメージがありましたが、うちの会は前向きに明るく活動をしています。みんなで旅行に行ったりイベントをしたりしていると、『皆さんお元気ですが、どういう集まりなんですか?』と聞かれることもあり、『みんながん患者なんですよ』と答えると驚かれたり(笑)。ファッションショーは、『乳がん患者でも、治療を乗り越えればあんな風になれるんだ』という希望の姿になればいいなと思って始めました。
 『乳がん=死』ではないし、早くがんを見つけられればそれだけ治療方法の選択肢も増えます。そうした発信をすることで、『乳がんになっても、女性としてもっと輝いて生きていこう』と伝えていくのが、うちのモットーなんです」

アユハ2018年12月号表紙 圧縮
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記事DATA

溝口綾子 

1961年、神奈川県出身。フリーランス歯科衛生士として働きながら、2009年に一般社団法人KSHSを立ち上げ、自らの体験から乳がん患者を支援するピアサポーターとしても活動。