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「私が経験した、職場の驚くべき“常識”」男の嫉妬学 第3回【試し読み】

2016年2月23日、東京都・幸福の科学総合本部で説かれた法話から抜粋してご紹介します(全4回)

必死で頑張っているつもりが誤解されて嫉妬の対象に

前回は、私が商社時代に受けた嫉妬体験を交えつつ、嫉妬の多い世の中を行き渡っていくためには「嫉妬をどのようにかわしていくか」「嫉妬をも利用しながら、いかにして前に駒を進めていくか」といった術を学ぶ必要があると述べました。

新入社員のころの私は、まだ仕事ができなかったため、一生懸命にやってはいたものの、なかなか覚えられず、劣等感も相まってか、自分としては必死で頑張っているつもりでした。

ところが、頑張れば頑張るほど、逆に、これ見よがしに「出世したい」と思ってやっているように見えるらしく、嫌がる人も出てきました。

当時、午後六時以降になると、新入社員を集めてさまざまな研修等が開かれることもよくありましたが、後年、同期の人たちと集まったときに、私のことを「殴ってやりたい」と思っていた者がそうとういたらしいと聞いて、びっくりしたこともあります。「あいつだけは『一発殴らせろ』と思っていた」「『腹が立ってしょうがない』と思っていた」などと言われ、「そうかね」とは答えたものの、実際、自分のほうはそんなふうに思われているとは、考えたこともありませんでした。こちらはできないので必死になっていただけだったのです。

例えば、研修で商業英語の勉強をしたときのことです。私は、「英語はある程度できる」と思って商社に入ったわけですけれども、商業英語等の実用英語については教わったことがありませんでした。貿易を教えているようなところでは「コレポン」(国際貿易でのやり取りに使われる外国語。コレスポンデンスの略)も学んでいると思うのですが、私は大学卒業までに学んだ経験がなかったので、研修の授業を聞いても、あまりよく分かりませんでした。そのため、目立つところでよく質問などをしているうちに、外部から来た先生にも気に入られたわけですが、あのとき、同期の人からは「なんや、もう、自己顕示に燃えとるやないか」「一発殴らせろ」などと思われていたようなのです。

ところが、最初のテストでは、私も含めて財務本部にいた新人二人が三十三点と三十二点で、「ビリから二番目と三番目を一点差の僅差で争う」というデッドヒートを繰り広げる結果となりました。ちなみに、もう一人は一橋大学出身の人で、私と同じく英検一級を通っているぐらい英語ができる人ではありました。私のほうもある程度の自信を持っていたのですが、商業英語の試験で日本語を自由に英訳したら、限りなく点を引かれ、何とか三十点ギリギリという結果になってしまったのです。もっとも、それよりも下の人が一人だけいたような気はするのですが(笑)。

そのため、部長に呼び出され、「おまえら、ビリから二番と三番か! いったいどんな顔して会社へ来てるんだ。できると思って採ったら、ビリを争っとるとは、なんていうことだ。騙された!」と怒られたのです。ゴルフ等でビリから二番目のことを日本では「ブービー」と称することもありますが、「うちの部署がブービー賞を争っとるなんて、もう、恥ずかしくて、よそに顔向けできん」と言われました。

私が勤めていた会社には、当時、二十ほどの本部がありましたが、なかでも財務本部というのはいわゆるエリート部署であり、ここから人材を出すということで有名でした。「人材が足りなくなってきたら財務本部から人を出す」という、要するに、経営者の卵を養成するようなところだったのです。

それが、「うちの者がビリのほうに並んでいる。この成績表を社内全部に回されるのは恥ずかしい」と、ずいぶん言われたので、シュンとしてしまい、「本当にすみません」と懸命に謝りました。

そんな成績を取っていても、周りの人からは「目立っている」ということで嫉妬され、「殴りたい」と思われるとは、本当に割に合わないというか、まったく〝採算〟が取れません(笑)。「私は自己表現がよっぽど下手なんだな」と、つくづく感じました。

ただ、普通は、できないなら、おとなしくするなど、それなりに方法はあるのではないかと思います。

周囲に誤解された簿記試験での苦労

それから、入社してすぐに簿記の勉強もありました。簿記をよくできる人が聞いたら笑われてしまうと思いますが、私は簿記三級を受けさせられて二回も落ちているのです。

一回目は「まあ、落ちてもしかたがないかなあ」と思ったのですが、二回目に受けたときには、すでに受験者が半分になっていました。「あれ? もう、だいぶ受かっちゃったのかな。この〝地獄〟から半分は脱出したらしい。これなら、自分もさすがに二回目で受かるだろう」と思って試験に臨んだものの、終わってみると、二回目でも受からなかったのです。三回目になったら、残っているのは片手で数えられるぐらいの人数になっていて、「二回目でみんな受かるのかあ。それは知らなかった」と思いました。

実は、私は生まれてから一回も簿記をやったことがなかったために知らなかったのですが、簿記だけではなく、さらに、そろばんや電卓を使ったこともなかったのです。ですから、試験では「そろばんないしは計算機(電卓)を使ってもよい」という条件はあったものの、それらをうまく使えませんでした。そろばんについては小学校三年生のときに授業で一回習ったことがあるだけで、あとは使ったことがなかったのです。

試験のときには机の上にそろばんと電卓が置いてありましたが、電卓を一生懸命に押してはいても、人差し指一本なので、そのうちに時間が足りなくなってきます。しかも、表計算の縦横が合わず、もう、パニックになりました。やはり、指が慣れないと、なかなか動かないものです。

そのように、電卓も使えなかったため、これまた怒られて、非常に悲惨なスタートを切ったわけですが、そういう状況であるにもかかわらず、ほかのところでは「態度がでかい」「うぬぼれている」「礼儀を知らない」「常識を知らない」というようなことで、たくさん怒られていました。

それは、「いわゆる新入社員のくせに、床の間を背にして座った」といった類のことですけれども、そういうものが次々と出てくるので、集約すれば、「生意気だ」「横柄だ」といった意見が多かったわけです。

そのわりには会社の試験でものすごく悪い点数を取るので、「これはわざと取っているのか」とまで考える人もいました。「いやあ、全力でやってはいるのですけれども、取れないんです。それでも落ちるものは落ちるので」などと言っても、「そんなはずはない」と考える人もいました。

しかし、私は管理部門だったので、帰る時間がわりと早く、寮に帰って勉強する時間があったのですけれども、営業等の人たちはみな、なかなか帰ってきません。夜になっても部屋の明かりがずっとつかないので、夜中まで帰ってきていなかったはずです。

むしろ、私には、彼らがいったいいつ勉強しているのか、さっぱり分からず、なぜ勉強していないのに受かるのか、こちらのほうが教えてほしいぐらいでした。

休みの日に寮で勉強しているのは私一人だけで、みな、どこかへ遊びに行っていたのです。いったいどこへ行っているのかまったく分からないのですが、私はそれほど一生懸命にやっているにもかかわらず、簿記の試験には三回目にやっと受かるというありさまでした。

ちなみに、私の家内は日本銀行出身で、その当時、簿記四級を受けたことがあると聞きました。これを「もっと下がいた」と思ってよいのかは分かりません。日銀で簿記四級というのは考えにくいので、おそらく冗談で、本当は二級か一級の話かとは思いますけれども、何回か受けたようなことは言っていました。

とにかく、周囲の人々の予想に反し、現実は違うということがよくあるものです。

社会に出てからは常識が引っ繰り返ることも

そのようなわけで、社会に出てからは、「あらぬ嫌疑」と「あらぬ嫉妬」にずいぶん苦しみましたし、常識が引っ繰り返って逆になるようなケースがあまりにも多いことにもびっくりしました。

例えば、勉強をしていても怒られるし、品行方正であっても怒られるのです。学生の人はこれを聞いたら驚いてしまうかもしれません。学校では、品行方正であるということは、普通は先生にほめられることであり、先生方もそのように指導しているのではないかと思いますが、会社に入ったら、怒られることもあるわけです。
要するに、いわゆる社会常識を知らないということでしょう。

「普通だったら、学生時代にいろいろな遊びを覚えて知っているだろう? あなたは何も知らないじゃないか。それができなかったら、社内の付き合いもできないし、外部の人とも付き合えない」などと言われるのです。「品行方正であることはマイナスにもなる」ということを、社会に出てから知ったというのはショックでした。

実際に、私を連れていくと、いろいろなところに遊びに行けないということで本当に迷惑がられ、「どこかに置いていけないか」というような扱いをされたことがよくあったのを覚えています。

〝常識〟は職場によって違う

とにかく、人間関係というのは難しいものです。これは、おそらく、職場によっても違うのではないでしょうか。今とは違う職場に行けば、同じようにはいかないと思うのです。

東大の同期で裁判官になった人などは、「裁判官になる以上、やはり、何か、悪いこと、犯罪に触れるようなことをするのは、一切、相成らぬ。その身でもっては、裁判はできない。だから、裁判官はガード下の赤ちょうちんに入ることさえ許されないのだ。そんなところを見かけられたり、写真を撮られたりでもしたら、のちのち、まさかのときに困るかもしれないから」と言っていました。

もちろん、赤ちょうちんに入ること自体は、別に犯罪ではないでしょう。しかし、そういう職業の人にとっては、ガード下の安い赤ちょうちんをくぐるだけでもいけないし、それ以外の違法行為に関することは、もちろん、何もやってはいけないということです。

その同期は、そういったことを真顔で言っていたので、そんな世界もあるのでしょうし、おそらく、行く先によってもいろいろと違うのだろうと思います。

大川隆法 Ryuho Okawa

幸福の科学グループ創始者兼総裁

幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。説法回数は2800回を超え(うち英語説法120回以上)、また著作は30言語に翻訳され、発刊点数は全世界で2400書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。また、映画「心に寄り添う。」(ドキュメンタリー・2018年5月公開)、「さらば青春、されど青春。」(実写・同年5月公開)、「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・同年10月公開)、「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年公開)など、15作の劇場用映画を製作総指揮・企画している。ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。

大川隆法公式サイト

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