web-201808-連載 釈党首田村さん

「エベレストの山頂から 見る景色は、まさに 『神様が創った世界』だった。」幸福実現党党首 釈量子の挑戦魂対談 第1回

本誌で連載を持つ幸福実現党の釈量子党首が、聴覚障害者として世界で初めてエベレストへの登頂を果たした山岳アスリートの田村聡さんと対談。「挑戦魂」がほとばしる対談を全3回でお届けします。

高校生の時の夢を51歳で実現

 エベレストにチャレンジしようと志したのは、いつ頃だったんでしょうか。
田村(以下、田) 高校生の頃、「日本山岳会が、エベレスト登頂に北壁ルートから世界で初めて成功した」という新聞記事を読んだんです。途中の経過も新聞記事に載っていて、厳しい状況の中でとうとう登頂に成功したということで、自分のことのようにとてもうれしかった。
 当時、大学の山岳部出身の叔父とよく登山をしていたので、私もいつかエベレストに登りたいという夢を持ちました。
 その後、3回目の挑戦をした51歳のとき、とうとう夢を実現されたんですね。8848メートル! 聴覚障害者では、世界で初めてということですが、まさに、新しい時代を切り拓きましたね。
 ありがとうございます。でもそれは、運がよかっただけなのかもしれません。もちろん危険を予測し、計算し尽くして行くわけですが、疲れて動けなくなったときに吹雪にでもなれば、もう、どうしようもないですから。

体感温度マイナス50度の過酷な環境

 過酷ですね。私は、中国の瀋陽でマイナス20度を経験したとき、死ぬかと思ったのですが、それよりもさらに低い気温ですよね。
 風が強くなると、体感温度はマイナス50度ぐらいになります。凍傷になって指を切断するようなこともあります。
 ただ、いちばん大事なのは高度に体を順応させることです。2016年の4月初旬にネパール入りして、5000メートル級の山に登ったりしながら体調を整え、4月19日にベースキャンプに着きました。そこで7000メートルの高度に体を慣らしていきます。5月18日にベースキャンプを出発してアタックを開始。
 そして、さあいよいよ登頂という20日の夜は、どういうわけかあまり寒くなかったんですよ。風がぴたっと止み、すごく晴れていて穏やかでした。
 それはきっと、田村さんが神様に愛されているからでしょう。
 そうですね、そうなのかもしれません。翌21日の早朝、山頂から見る風景はとても神秘的で、まさに「神様が創った世界」という感じでした。山頂を目指す間は夜だったので、星もすごくきれいに見えたんですよ。
 登っている間に、夜がだんだん明けていったのですか。
 はい。本当に美しかったです。実は、登っているときにトラブルで酸素マスクの排気弁が凍って、呼吸が苦しくなってきたんです。
 幸い気がついて最悪の事態は回避できたんですが、少し歩くだけで100メートルを全力疾走したような苦しさの中で、朝日が昇ってきて、視界がオレンジ色にバーッと広がったんですね。ずっと努力してきてよかったと心から思いました。
 当時、新聞報道をはじめ、大変なニュースになりましたよね。下山したら、大歓迎だったでしょう。
 「すごいね!」「おめでとう」とたくさんの方に言っていただきました。差別に苦しんでいるという障害者の方からは、「勇気をもらいました」という連絡もいただきました。
 帰国後に招かれた講演などで、子供たちに、「道は開けるから、努力は必要だよ」と話せたことも、うれしかったですね。

【対談者】山岳アスリート・田村 聡

1965年、東京都立川市生まれ。生まれつき聴覚障害を持つ。山好きの父と叔父の影響で13歳から登山を始める。高校までろう学校に通い、専門学校卒業後、会社員を経て2007年、山岳アスリートに。2016年、聴覚障害者初のエベレスト登頂に成功。

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記事DATA

釈量子 

幸福実現党党首

1969年11月10日、東京都小平市生まれ。國學院大學文学部史学科卒業後、大手家庭紙メーカー勤務を経て、1994年に宗教法人幸福の科学に入局。学生局長、青年局長、常務理事などを歴任。幸福実現党女性局長などを経て、2013年7月幸福実現党党首に就任。

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