web-201808-体験談久田さん

<体験談/子供との死別>息子は“今回の人生課題を きっちり乗り越えて還っていった”と思っています。

久田ひろみさんは2007年、自動車整備士になる夢を叶える直前だった19歳の息子・和貴さんを亡くしました。

「計画通り」と告げる声

 その日、車の整備学校に通っていた息子は、整備を仕上げた後輩のオートバイの試運転をして、明け方3時に帰ってきました。昼過ぎに起きて「近くのホームセンターまで買い物に行く」とバイクで出かけた直後、事故が起きたのです。

 「息子さんが事故に遭われたので、落ち着いて来てください」

 電話をくれた病院の看護師さんの声は平静な調子で、てっきり、骨折か何かだと思い、軽く化粧をして出かけました。ところが、病院に着くと慌ただしい様子で、ひと目でただごとではないと分かりました。

 「心肺蘇生しましたので、市民病院に搬送します」

 そう言われ、心停止するぐらいの事故だったことを知りました。搬送先の病院で受けた説明によると、頸椎の呼吸を司るところが損傷していて、左の肺も強打してつぶれている。頸椎を損傷しているため手術をする姿勢にできず、もう打つ手がないと、そんなお話でした。

 瀕死の状態から奇跡が起きて生還する人もいると聞くけど……。そう気持ちが揺れていたときでした。

 「今回のことは計画通りなので、どうか受け入れてください」

 胸の奥から声が響いてきたのです。次いで私と息子が一生懸命に「そんなに若くして天国に還るなんて」と話し合っている場面が心に浮かびました。

 幸福の科学で「人は人生計画を立てて生まれてくる」と学んでいた私は、それが生まれてくる前に親子になる約束をしている場面だと直感したのです。これは……。私は早くも覚悟し始めていました。

1週間後の心停止

 
 目撃者がおらずはっきりとは分かりませんが、警察によると、小動物が飛び出してきたのを避けようとして縁石にぶつかったようだ、とのことでした。息子は脳死状態と診断され、息子の友人たちが病院に駆け付けてくれました。

 人がいない間は息子の手を握って祈り、友人が来ればそのたびに事故の詳細と容態を話す毎日。そうして説明することが、ある意味、自分にも言い聞かせているようなところもありました。家族にとっても、心の整理をつけるのに貴重な時間だったと思います。そしてクラスメイトの最後のひとりがお見舞いに来てくれた日の夜、病室で、ギリシャ風の衣服を着て立派な羽をつけた息子が、「行くね」と言っている姿が一瞬視えたのです。いよいよかもしれない……。そう覚悟した翌日、息子の心臓は止まりました。

免許の更新ハガキを見て

 
 事故から2カ月経ったころ、息子の二輪免許の更新ハガキが届きました。一度も免許を更新せず逝ってしまったんだ……。

 私は、事故の日からずっと、葬儀のときも含めて、号泣することはありませんでした。もちろん涙が出ることはありましたが、あまり私が悲しむと、息子が早く逝くことへの罪悪感を感じてしまうのではないかと思ったのです。でも免許の更新ハガキを見たとき、言いようのない悲しみが迫ってきました。

 その1カ月ほど後だったと思います。ふと、自分が感情を抑圧しているのならよくないと感じ、通夜・告別式から数日後までの心境を、文章にしてみようと思い立ちました。書き始めると、不思議なほどスラスラと言葉が出てきました。その瞬間、「ああ、私は大丈夫」。そうしてやっと、気持ちに区切りがついたように感じました。

アユハ2018年8月号表紙 (590x800)
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