シャネル

時代を創った女性たち(vol.1)「ポリシーは気品とエレガンス モード界の革命家 ココ・シャネル」(2012年3月号)

その先見性やイノベーション力で歴史を変えた女性たち。私たちの生活に今も影響を与え続ける彼女たちの偉大な功績について、聖学院大学政治経済学部教授・鈴木真実哉さんに語っていただきます。

コ・シャネル(本名:ガブリエル・ ボヌール・シャネル)は1883年、フランスに生まれました。11歳で母と死に別れ、父に捨てられたシャネルは姉ジュリアと孤児院、修道院で育ちます。小さいころからおしゃれが大好きで、修道院で、後にシャネルの成功の元となる裁縫の技術を身につけました。

18歳で修道院を出、ムーランという田舎町で、昼は洋品店のお針子、夜はカフェ・コンセールで歌う生活を始めます。やがてエリート部隊の将校エティエンヌ・バルサンの愛人になり、パリ郊外のバルサンの屋敷に住むことに。そこで退屈しのぎに始めた帽子のデザインが社交場に集う女性に認められ、バルサンの援助で1909年に帽子のアトリエを開きました。翌年、帽子の専門店「シャネル・モード」をオープンしますが、自分の道を歩み始めたシャネルとバルサンとの間に亀裂が生じ、屋敷を出ます。

そして新たに恋仲になったアーサー・カペルという男性のバックアップで、1916年、当時は喪服の色だった黒をベースにしたオートクチュールを発表。その斬新なスタイルは話題となり、大成功を収めました。

らに労働者の作業着だったジャージー素材のドレスや女性のパンツスタイル、ショルダーバッグなど、ファッション界の歴史を変える革命的なスタイルを次々に発表。モード界で絶賛され、シャネルは富と名声を欲しいままにします。

その類稀な構想力や創造意欲の根本は、お針子のころからの「人から注目される特別な価値のある人間になりたい」という強い思いにありました。シャネルは非常に自身を愛しており、愛する自分が向上し、豊かになる方法を常に考えていたのです。

ャネルはファッションに留まらず、バッグ、アクセサリー、香水、化粧品、オートクチュールやプレタポルテなどあらゆるシーンで、気品とエレガンスを重んじたシャネル・スタイルを貫きました。

そして、そのスタイルを発言や行動で自ら表現したシャネルは自身がブランドとなり、多くの男性や協力者を惹きよせます。億万長者への道を決定付けた香水「CHANEL No.5」は当時の恋人、ドミトリー・パブロヴィッチ大公に紹介された調合師エルネスト・ボーと、社交界に精通した仕事の協力者で、生涯の友人でもあったミシアの存在により実現したものです。

沢が大好きと公言していたシャネルですが、「贅沢は貧乏の反対ではなく、下品さの反対なのです」という言葉が示すとおり、シャネルは「下品」と常に戦っていました。「贅沢とはお金を持っていることや、けばけばしく飾り立てることではなく、下品でないことをいうのです。下品こそ、もっとも醜い言葉です。私はこれと戦う仕事をしています」という言葉こそが、美に生き、気品とエレガンスを重んじたシャネルの、生涯における理念といえます。

939年に第二次世界大戦が勃発し、シャネルは「これ以上モードは続けられない」と、54年まで沈黙を続けます。モード界ではシャネルは終わりと思われていましたが、15年後に活動を再開。70歳を過ぎてから、モード界のノーベル賞に匹敵する「モードオスカー」を獲得し、その後も精力的に作品を発表し続けました。

971年、シャネルはコレクションの準備中に87歳でこの世を去り、スイス・ローザンヌの墓地に埋葬されました。「富と自由の象徴」と、白い色を愛したシャネル。白い墓石には自身の星座・獅子座にちなんだ獅子の頭が刻まれ、周りには白い花が今も咲き乱れています。

Photo: ROGER_VIOLLET

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鈴木真実哉 Mamiya Suzuki

聖学院大学政治経済学部教授

1954年生まれ。ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ経営成功学部ディーン、聖学院大学政治経済学部教授。専門分野の金融論のほか、貨幣論、シュン ペーター理論などを研究。著書に『格差社会で日本は勝つ』(幸福の科学出版)、共著に『カオスの中の貨幣理論』(雄松堂出版)、『金融入門』(昭和堂)な ど。