地名に宿る言魂

地名に宿る言魂

ふだん何気なく呼んでいる地名には、その土地の歴史や出来事からそう呼ばれるようになり、今も親しまれているものがたくさんあります。地名にまつわる由来を集めてみました。

幸福町(こうふくちょう)(北海道帯広市)
アイヌ語の地名と開拓者の思いが融合した「幸福町」
もともとアイヌ語で渇いた川という意味の地名「サツナイ」に、明治維新後「幸震(こうしん)」と漢字をあてていた。その後入植した福井県出身の開拓者たちが、故郷から「福」の字をとって「幸福」と命名。懐かしい故郷を思い出し、過酷な環境での開拓に耐えるという思いが込められているのかもしれない。

仙台(せんだい)(宮城県仙台市)
千体の仏像から名付けられた「仙台」
千体→千代→仙台と漢字が変わり、今に落ち着く仙台。その昔、慈覚大師円仁(じたくだいしえんにん)が千体の仏像を祀り、「千体」となった。その後1600年に伊達政宗が青葉城建立の際、「仙台」と改めたという。一説には、「仙台」という漢字は中国の唐時代の詩人・韓広羽(かんこう)の漢詩「同題仙遊観」の起句「仙台初見五城楼」からとったとか。

洗足(せんぞく)(東京都目黒区)
日蓮が足を洗った池にちなんだ「洗足」
そもそもは千束分の稲が貢租(こうそ)として収められていたことから、中世よりお隣の大田区にまたがって「千束」と呼ばれていた地域。弘安5年(1282)、見延山を出発した日蓮上人が千束の「千束の大池」で足を洗ってから、大池は「洗足池」と呼ばれるようになり、地名の一部も「洗足」と呼ばれるようになった。

焼津(やいづ)(静岡県焼津市)
日本武尊(やまとたけるのみこと)が草薙(くさなぎ)の剣で難を逃れた「焼津」
日本武尊が東国に蝦夷成敗(えぞせいばい)に行った際、森の中で火を放たれる。日本武尊は草薙の剣で周囲の草をなぎ払い、火打石で払った草に火をつけた。その火が向かい火となって火が鎮まり、難を逃れたという。この言い伝えから、この地を「焼津」と呼ぶようになった。

釈迦浜(しゃかはま)(福井県大飯郡)
行基が造った薬師如来像が流れ着いた「釈迦浜」
その地形から、海流に乗って世界中の漂流物が集まる釈迦浜。天平年間(729~749年)、光を放つ一体の仏像が打ち上げられた。調べたところ、なんと行基によって造られた薬師如来像だった。さらにある日、村人の夢に「その仏様は温泉を守る仏である」というお告げがあり、その後ここに温泉が出たとか。現在はヨットハーバーになっている。

博奕岬(ばくちみさき)(京都府舞鶴市)
竜神とクジラ大王が囲碁対決をした「博奕岬」
この岬にまだ名がなかった昔、女の竜神とクジラ大王が出会った。ふたりはお互いに自分のほうが強いと言い張り、近くに転がっていた白と黒の石で囲碁をし、勝負をつけることに。勝敗はわからないという説や、竜神が勝ったという説があるが、以来この岬は博打ならぬ博奕岬と呼ばれている。実際に岬の近くの瀬崎の浜は、北は白色の花崗岩(かこうがん)、南は暗褐色の輝緑岩(きりょくがん)に真ん中で線を引いたように分かれているという。

宍道(しんじ)(島根県松江市)
大国主命(おおくにぬしのみこと)らが猪狩りをした「宍道」
しじみ漁で有名な宍道湖をのぞむ宍道。『出雲国風土記(いずものくにふどき)』によれば、“出雲の国を治めていた大国主命らが犬を使って猪狩りをした。そのとき追われていた二匹の猪と犬は石となって今も南の山に残っている”とある。この故事から、猪の通った道と言う意味でこの地域を「猪の道=宍道」と呼ぶようになったとされている。

星原(ほしはら)(愛媛県新居浜市)
空から降ってきた隕石を祀る「星原」
昔々、この土地に隕石が落ちてきた。里に住む人は祠を建立し、隕石をご神体として祀ったという。その神社は今も「眞星(ほし)神社」という名で存在しており、「星の宮神社」とも呼ばれている。「星原」という地名も、「星の落ちてきた草原」という意味で名付けられた。

高原町(たかはるちょう)(宮崎県西諸県郡)
天孫降臨(てんそんこうりん)の地「高原町」
後ろに高千穂峰がそびえる高原町。一説には日本発祥の地とされ、神々が集った高天原が転じて「高原」となった。天照大神が、子孫のニニギノミコトを地上に遣わした「天孫降臨」。『古事記』ではニニギノミコトが降臨した場所を「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂のくじふる峰」としており、そこが高原町にあたる。高千穂峰の山頂には、ニニギノミコトが君臨した際に突き立てたという青銅製の天逆鉾(あまのさかほこ)が今も立っている。

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