元祖キャリアウーマンの人生ストーリー 東條保子さんインタビュー(2014年11月)

“なりたい”じゃなく“なる”と決意すること―
それが繁栄のキーワードです。

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寝ても覚めても“仕事が好き”で、妻となり母となっても、フルタイムで働き続けた東條保子さん。
まだまだ寿退社が多い時代の中で、夫婦共働きで女性管理職として活躍し、49歳で独立を決意。
67歳の現在も会社を率いる、そのパワフルな魅力に迫ります。

 

「死ぬ3日前まで働く!」

「とにかく仕事が好き!」と語るのは、コンサルティングやITシステムで企業を支える東條経営科学研究所 代表取締役社長の東條保子さん。

「私の人生のテーマは『死ぬ3日前まで働くこと』です。教師だった祖父が、亡くなる3日前まで働いていたことと、元教師の母の『仕事を続けていればよかった』という言葉から、『私は生涯働こう』と決めました」

佐賀県出身の東條さんは、大学進学で上京。両親の影響もあって教員免許を取るも、「佐賀で教師になれ」という親の意向に反して、東京の企業を受ける。

「どうしても東京に残りたかったんです(笑)。面接では面接官に、『定年まで勤めさせてくれますか』と尋ねました。ほとんどの会社が『女性は30歳を超されますと……』と言葉を濁す中、『定年までいてください』と言ってくれたIBMに入社しました」

 

入社一年目で電撃結婚

働くことに夢中だった東條さんの頭に、“結婚”の二文字はなかった。しかし、入社1年目で先輩だったご主人と電撃結婚。翌々年、子供を出産する。

「結婚には全然興味がなかったんですが、『仕事に一生懸命な女性が好き』という主人に出会って、『こんなに優しい人がいるんだ!』と即結婚を決めました。出産のときは、5週間だけお休みをもらって。あまりお腹が大きくならなかったからか、周りも気づかず、出産して、会社に戻ったら、隣の男性から『なんで休んでたの?』と聞かれたんです(笑)」

 

ITの最先端部門でワクワクした日々

家庭を持ちながら、システムエンジニアとして毎日深夜まで働き、33歳でプロジェクトマネージャーに抜擢された東條さん。外資系企業で働く中で、「外国人と仕事をしないともったいない」と思い始めたという。

「海外出張に行けるチャンスがあったので、英語を猛勉強しました。でも、時間がないから、寝ている間にNHKの英語番組を流してみたりして(笑)。なんとかレベルをアップさせて、出張したアメリカのシアトルで、最先端技術を目の当たりにして、『これは楽しい!』と思ったんです。

そのころ東京には米国本社管理下のアジア本部があり、希望叶って半年後、東京での単身赴任生活が始まりました。それは、海外事業展開、最新技術などに触れる貴重な経験となりました」

 

「人にものを教えたい」という衝動で、起業を決意

IBMに勤めてから27年、49歳のとき、東條さんは独立を決意。コンサルタント事業をスタートさせた。起業した理由は?

「私のもうひとつの人生のテーマが『教師になること』なんです。わからないことがわかったとき、人の顔がパッと輝くでしょう? あの瞬間が好きで。教師にはなれませんでしたが、大人の方々に教える仕事をしたいと思いました。勉強したことだけじゃなく、自分自身も経験して、「真髄はこれだ」と伝えたい。そのためには自社を成功させないといけないと思っています。多くの方のお役に立てるように、大企業中心の業務形態から、中小企業向けのITサービスも始めました」

東條さん

 

“なりたい”じゃなく“なる”と決意すること

最後に“繁栄の女神”になりたい女性へのメッセージを聞いた。

「私も目指しているところですが……ひとつ言えるのは、『繁栄の女神になる』と決意をすることですね。“なりたい”じゃなくて“なる”ね! 漠然と思っていても何も変わらないけれど、決意すると、そうなるための方法を考え始めます。情報を集めたり、スキルを高めたり、周りからも『そういえば、あの人があの仕事をしてる』と教えてもらったり、協力者が現れたり、進むべき道がありありと見えてくるんです。

それに、“なる”と決めて、準備を始めると、頭の中で描くイメージもはっきりしてきます。

“繁栄の女神”とは、そうやって夢が現実に近づいてくる中で、いつの間にかなれているものではないでしょうか。夢を夢のままで終わらせず、一緒に“繁栄の女神”になっていきましょうね!」

 

東條さんのワークスタイル

1「男女平等ではない時代。こっそり徹夜もしました」
私が会社に入社した当時は、男女雇用機会均等法が施行される前だったため、「女性は20時には帰る」というルールがありました。
でも当時のコンピューターは高価で、会社の専用ルームでしか使えなかった。
すると、徹夜をしてでも終わらせないといけないわけです。
女性は徹夜は許されていなかったので、自ずと「責任のある仕事は男性に」という構図になっていました。
それだと働いていてもおもしろくないから、労働基準法も破って、ガードマンから身を隠して、徹夜もしました。
見つかったときは、上司が本社から叱られたようですが……(笑)。

 
2「仕事と家庭の両立は『予習型』の仕事と周りのサポートがあってこそ」
ちょうど住んでいた団地に、1歳から入れる公認保育園と、隣の号棟に0歳児からの無認可保育園があったので、最大限に活用しましたね。
もっと助かったのは、公認保育園の保母さんが団地の11階に住んでいて、夕方以降はうちの子を自宅で預かって、見ていてくれたんです。
大阪転勤後、子供は小学校に上がり学童に。夜は主人の両親が面倒を見てくれました。
でも、どんなに忙しくても、子供が熱を出したり、何かあったら、母親は飛んで行かなきゃいけない。
そのときに、もし仕事が切羽詰まっていると会社に大迷惑をかけますよね。
ですから、日ごろから「予習型」で早めの計画を立てて、仕事を抜けても大丈夫なように心がけていましたね。

 
(「Are You Happy?」2014年11月号)

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東條経営科学研究所 代表取締役社長

1947年佐賀生まれ。東條経営科学研究所代表取締役社長。旧東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、日本IBM株式会社にてプロジェクトマネージャーなどを歴任。98年に起業し、コンサルティングやITイノベーション、人材教育など幅広いサービスを展開している。

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