真実哉教授の 時代を創った女性たち――ハンナ・アーレント

世界への愛を探求し
人間の自由と公共性を
追い求めた大哲学者

 
女性哲学者の象徴的存在、ハンナ・アーレントは、1906年にドイツの中産階級に生まれます。両親はドイツ系ユダヤ人で、父は工学博士の学位を持ち、子どもの教育に熱心でした。アーレントは知的好奇心が旺盛で、幼少期から古代ギリシャやローマの古典を読む、早熟な子どもだったようです。
両親は熱心なユダヤ教徒ではありませんでしたが、ユダヤ教の聖職者〝ラビ”の一家と家族ぐるみの付き合いがあったため、アーレントはユダヤ教の教会に通い、さらに法律上の義務からキリスト教の日曜学校にも通っていました。そのためか、子どものころから神様は存在するという宗教観を持っていたそうです。

才気煥発で正義感が強い少女に成長したアーレントは、15歳のときに学校で、ある教師が同級生を傷つける一言を放ったことに腹を立ててその教師の授業をボイコット。放校処分になってしまいますが、アーレントは独学で勉強し、その結果、同級生より1年早く大学入学資格を取得します。
1924年、18歳でマールブルク大学に入学し、助教授をしていたマルティン・ハイデガーに出会います。ハイデガーは当時35歳で既婚でしたが、ふたりは師弟関係とともに恋愛関係に。しばらくしてハイデガーは代表作『存在と時間』を出版しました。アーレントはその後大学を移り、現象学を学んだのち、ハイデルベルク大学で精神科医で哲学者のカール・ヤスパースの元、神学的要素と哲学的要素を応用した博士論文『アウグスティヌスの愛の概念』を執筆。アーレントには全体主義研究や自由哲学のイメージがありますが、この論文から、その根本は神学と哲学から始まる「愛」だとわかります。

やがてハイデガーと別れたアーレントは、1929年に哲学者ギュンター・シュテルンと結婚。4年後の1933年、ナチスが政権を獲得し、ユダヤ人排斥運動が始まります。アーレントも捕えられ、収容所に入れられましたが、善良な警察官により解放されました。その後パリに亡命しますが、パリもヒトラーの支配下に下ってしまいます。またも収容所送りになりますが、ここでも逃げることができました。
神学と哲学、愛に関心があったアーレントが政治哲学の方向に進んだ理由は、このときの経験にあります。アーレントが理想とする古代ギリシャ、ローマ以来の伝統あるヨーロッパに、なぜナチスのような存在が現れるのか、自身も迫害を受けながら客観的に考えたのです。

アーレント夫婦は1941年、アメリカに亡命。亡命時の所持金はわずか25ドルで、収入はユダヤ人支援団体からの月額70ドルのみでした。アーレントは生活のために英語を学び、寄稿論文などで思想を発信。次第に認められていきます。
アーレントは〝同じ人間であるはずのナチスが、なぜあんなに悪魔的な行為ができるのか。同じ良心を持つはずの人間が、なぜあんなに残酷な行為ができるのか”を考え続け、1951年、その思想をまとめた『全体主義の起源』を発表します。その内容は、〝理想的な社会とは、古代ギリシャのポリス(都市国家)のような、異質な者同士が公的空間で議論や意見交換ができるもの。たった1種類の考えの人たちだけが社会を染めると、そうでない人間を粛清してしまう。そして、それこそが全体主義の本質である”などと書かれた、批判的でネガティブなものでした。
さらにアーレントは1958年、『人間の条件』を発表。古代ギリシャ・アテネの民主共和制をモデルに、人間には「活動」「仕事」「労働」があるとし、「活動がいちばんいいアクションで、生活にどれだけ活動と仕事を取り入れられるかが大事である」というポジティブな内容でした。

この相対する2冊の代表作からみえるのは、アーレントの〝世界への愛”です。伝統あるヨーロッパが全体主義に侵され、対して新大陸アメリカになぜ自由で明るい社会ができたのかを分析し、どんな世界が人間にとって幸福かを考える。その根底には、世界への愛があふれています。
また、個人的自由だけでなく、「政治的自由こそが人間社会にとって尊いもので、これが政治の尊厳を保つ」という考え方で、ヨーロッパに政治の尊厳を取り戻そうとしました。これにより、「自由」がアーレントのもうひとつの代名詞となったのです。
世界への愛を探求し、人間の自由と公共性を追い求めたハンナ・アーレント。アーレントが最初の博士論文を書いた際の教授、カール・ヤスパースは晩年、「あなたの生涯の研究業績で最大のものは?」と聞かれ、「ハンナ・アーレント」とだけ答えたといいます。それほど評価されていた大哲学者であり、迫害の渦中にありながら問題を客観的に分析し、その本質に迫る姿勢は、現在も学問に生きる人の指針となっています。

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鈴木真実哉 Mamiya Suzuki

聖学院大学政治経済学部教授

1954年生まれ。ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ経営成功学部ディーン、聖学院大学政治経済学部教授。専門分野の金融論のほか、貨幣論、シュン ペーター理論などを研究。著書に『格差社会で日本は勝つ』(幸福の科学出版)、共著に『カオスの中の貨幣理論』(雄松堂出版)、『金融入門』(昭和堂)な ど。