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情熱TALK 幸福実現党 幸福実現党 愛媛県本部副代表 森田こうじさん

商社マン時代の訪中経験から中国の脅威を身近に感じ、政治の道を選んだ森田こうじさん。日本の誇りを取り戻すための活動について伺いました。

 

日本を守るために出馬を決意

幸福実現党が立党した09年をはじめ、愛媛県から国政選挙に立ち上がった森田こうじさん。
「立党時は徳島県にいたのですが、立党前から他党の選挙ポスターを見るたびに、なぜか自分が出馬した場合のポーズやキャッチフレーズを考えていたんです(笑)。
いざ立党が決まり、志ある人を募った際、右手が勝手に挙がっていました。自分でも驚きましたが、当時は北朝鮮のミサイル発射や、中国の軍事拡張など国防の危機でしたので、日本を守るために立ち上がろうと決意しました」

 

打ち砕かれた中国の若者の希望の未来

子どものころから、なぜか中国に関心があったという。
「72年の日中国交正常化の際、私はまだ中学生でしたが、調印式で毛沢東と握手をする田中角栄首相を見て、子ども心に“いよいよだな”と思ったことを覚えています」
 大学に進学し、法学部政治学科で政治について学ぶとともに、第二外国語は中国語を選択。卒業後は食品関連の商社に就職した。
「中国のいろいろな特産物を日本に紹介して、日中の架け橋になろうと思っていました。84年以来、何度も訪中しましたが、当時の中国は予想以上に貧しく、まだ人民服を身に着けていた時代です。仕事に対する姿勢も悪く、公司(会社)の書類仕事もなかなか進みません。『その腕時計、いいね』と、賄賂をほのめかされたこともありました」

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現地の同世代の若者と、仕事の合間などに熱く語り合ったという。
「改革開放(経済開放)政策が行われ、積極的な海外貿易がスタートした時期でした。若者たちは、『やがて中国も日本や欧米と同じ自由で民主的な国家になり、繁栄の未来が訪れるかもしれない』という夢を持っていたのです。しかし89年、天安門事件が勃発。中国は民主化とは真逆に舵を切りました。私はすでに商社を去っていましたが、中国の友人たちの夢が潰えてしまった、と悲しく思いました」
その後書店で大川隆法総裁の書籍に出合う。『太陽の法』を読み始めると不思議と涙が止まらず、「この教えは間違いない」と確信。91年に出家し、支部長として多くの人を悩みから救い、導いている。

 

心の“しこり”を取り去る

政治活動は、人々の心の“しこり”を取り去る活動とも感じている。
「西条市で、庭で草引きをしているおじいさんがいらっしゃいました。『日本は自分たちで守るべきと思っているんですよ』と話したところ、『わしはインパール作戦の生き残りじゃ。多くの戦友が死に、悲惨な体験をした。いまも思い出すと胸が痛む』と。『でもインパール作戦はインドの独立を助けるための戦いだったじゃない。おじいちゃんたちが戦ってくださったのは、無駄じゃなかったと私たちは知っていますから』と話したところ、涙をぽろぽろ流されたんですね。その方は70年近くも心に“しこり”を持ち続けていたのではないでしょうか。私たちの活動は、先の大戦や自虐史観教育で、人々の心にできた“しこり”を取り去るものでもあると感じています。これからも支援者の皆様とともに、日本人が日本人としての誇りを取り戻せるよう、訴え続けてまいります」

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森田浩二 Kouji Morita

幸福実現党愛媛県本部副代表

1959年11月19日生まれ、広島県三原市出身。広島県立三原高等学校卒業。関西大学法学部政治学科卒業後、食品関連商社、機械メーカーなどを経て、1991年、宗教法人幸福の科学に入局。広島、山口、佐賀、鳥取、徳島など関西方面の支部長職などを経て、2009年5月、幸福実現党入党。同年6月から愛媛県本部副代表を務める。2010年6月から愛媛県新居浜支部支部長を務め、2013年8月から松山南支部支部長。2009年衆議院選挙、2013年参議院選挙に出馬。家族は妻と4男1女。

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